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後刻、皮衣をまとい、フードを目深にかぶった人物が、タルドゥのもとを訪れた。タルドゥは参謀と伝令たちを野戦指揮所の天幕から追い出し、二人きりでその人物と向き合った。
フードの下から現れたその顔は、アリアンロッドのものではなかった。暗がりであれば誰もが見誤るほどに似ていたが、確かにその顔は少女のものだった。
「あなたはタルドゥですね。アリアンロッドの義兄の……」
そう言い当てられても、タルドゥは驚かなかった。この相手が神であることを、タルドゥは最初から疑っていなかった。
「不思議なものですね。それではあなたは、私にとっても兄ということになる」
これには、さすがに虚を突かれた。すると、この少女神はアリアンロッドと血のつながった、ほんとうの姉弟か。
「薄明、そう名乗らせてください」
少女神はそう言って軽く頭を下げた。タルドゥは平伏した。
「イニストラードはどうなりましたか」
「埋葬し、塚を築きました。そのありかを知る者は、私の他ありません」
「なんだか、ほっとしたような、残念なような」
「まったくです」
気の抜けたような笑いが、ふたりの間に浮かんだ。
「アリア……アカツキ様は、どうなりましたでしょう」
「生きてはいます。それだけは私にもわかります」
「薄明様は戦を止められました。我々キンメリア人は、これからどうすべきとお考えですか」
「エトルリアに降伏し、エトルリアの神々のもとで奴隷として生きよ。そう言ったら、あなたは従いますか?」
少女神はそう言った。タルドゥは苦笑いして答えなかった。
「おそらくあなたも運命の車輪の一部。定められたとおりに生きるほかないでしょう」
「我らの味方となって、我らを導いていただくわけにはまいりませんか」
「私はまもなく、力を使い果たして死にます」
薄明と名乗る少女神は、あっさりとそう言った。
「そのまえにできることをやらねばなりません。おそらくその結果は、あなた方を利することになるでしょう」
少女神はオジマンディウスを殺した。エトルリアにはオジマンディウスの母、太母神がいると聞く。少女神がどういうつもりであっても、これから起きることは想像できる気がした。
少女神はフードをかぶり直し、立ち上がった。
「ひとつ、お尋ねしていいですか」
タルドゥは言った。
「キンメリアでの戦いの折り、父祖神は、ブランウェンと言う娘を連れてあの都に逃れました。私の妹です。どうなったか、ご存じありませんか」
「残念ですが、私にはわかりません」
「殺すために連れていくのは理にかないません。まだエトルリアのどこかで、生きているのではないでしょうか」
「それが今、キンメリア軍の指揮官として考えるべきことですか」
少女神の言葉は穏やかなものだったが、タルドゥはその顔を見ることができなかった。
だが、長い沈黙のあと、少女神はおもむろに皮衣を脱ぎはじめ、言った。
「これをあなたに預けます。隠身の秘術がかかった皮衣です。私が死ねば、秘術も解けます。だから、使うなら早いうちに」
「……そんな……貴重なものではないのですか」
「二度同じことを言わせる気ですか?」
タルドゥは再び言葉を失った。ただ、マントを押し頂いて拝礼した。
「あなたは、なるべく死なないようにしてください」
小さく微笑み、少女神は去った。
「アカツキの王、万歳!」
兵士たちの、見当違いの歓呼の声が響いた。
雷鳴とともに、少女神は姿を消した。
そのときすでに異変ははじまっていた。
人の中にも神の中にも、それに気づいた者はいなかった。
異変は、海で起こっていた。
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