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 父祖神の死を目前にしたエトルリア軍は算を乱して都に逃げ込んだ。  結果的に、キンメリア軍は進軍の機会を得た。  エトルリアの都から降る火の雨は、ある線を越えると降下をやめた。  たまに放たれることがあっても、それらはキンメリア軍の前線を越えて後方に落ちた。  気づくと、タルドゥたちはエトルリアを囲む堀の際にまで迫っていた。  食糧問題はそのしばらく以前に解決していた。  塩まみれになった肉が脱水し、腐敗しないまま食べられる状態を維持することを兵士たちが発見したのだ。  どこで見つけた何の肉か、タルドゥは敢えて問わなかった。死肉は至る所にあったからだ。兵士たちを称えも責めもせず、すべてを黙認した。  イニストラードなら、専門の部隊を編成し、肉と塩を組織的に集めることを命じていただろう。  イニストラードは卑怯なことも残酷なこともやったが、確かな覚悟を持っていた。  友かどうかもよくわからないその男が死んだ今、タルドゥはそう思う。  ともかくも、キンメリア軍にとっては包囲戦、エトルリア側にとっては籠城戦。そういう形になって、戦いは膠着した。  参謀の中で最も優秀な者を選んで指揮をまかせ、タルドゥは一時、戦場を離れることにした。  薄明の少女神から預かった皮衣。それをまとい、敵地へと向かった。  濠の縁まで行って見えたのは、回転する正方形だった。おそろしく巨大な石の床が、ゆっくりとすり鉢状の濠の中を廻っている。それが、とほうもなく大きな四角錐の底面だと気づくのに、しばらくかかった。天地逆転した黄金のピラミッドが独楽のように、しかし非常にゆっくりと回転している。  都そのものが神殿のかたちをしているのだと思った。ただ、キンメリアのジグラットには似ていない。稜線は切り立ち、頂点は先端にむかって急角度で切り立ち、針のようにとがっている。  それは、地中から顔をだした脈打つ肉塊に突き刺さっていた。。肉塊は網目とも葉脈ともつかない筋に覆われ、その筋は無数に枝分かれしながら、すり鉢状の濠全体に伸び広がっていた。中心の拍動に合わせて脈打つその筋の結節点の一つ一つから、樹木めいた姿の赤いものが生い立っていた。壁外育ちのタルドゥは、樹木そのものを見慣れていなかったから、その様子をまるで、地底から苦しげに伸ばされた手のようだと思った。  枝に、四、五本束になって果実が生っている。細長く湾曲したそれは、丸々と太った子供の指のようだ。  食べられるのではないか。特に根拠もなく、ふと思った。こういうかたちの果実があることを、話に聞いたことがあった。  深い考えもなく、そのひとつを枝からもぎ取ると、樹木全体がぶるっと身を震わせた。  タルドゥは驚愕し、思わず跳び退った。  樹木が悲鳴を上げたかのように感じた。 「その木は、痛みを感じるのよ」  思いがけず背後から声をかけられた。  十歳前後と見える少女であった。  保護と食料のおこぼれを求めて、軍隊の少しあとをついて歩く、難民のような姿をしていた。  だが少女は痩せこけても汚れてもおらず、むしろ輝くような美しい顔をしていた。 「もとは、人間だったのだから」  少女は傾斜した地面にしゃがみこみ、タルドゥを見上げながら、彼の理解を超えることを言った。 「一つ一つ、話しかけてみるといいわ。あなたの探している人も、ここのどこかにいる」  それだけ言うと、少女の姿はタルドゥの視界からだんだん薄れていった。呼吸を止めて見守っているうちに完全に見えなくなった。 足跡のうえに、わずかな塩の小山だけが残った。 「やはり、神か」  タルドゥはつぶやいた。  驚きの連続で、思考がまとまらなかった。  頭上では、輝く四角錐がゆっくりと回転していた。  神が本当のことを言うとはかぎらない。エトルリアの神ならばなおのこと、キンメリア人を助けるようなことを言うはずがない。  タルドゥが子供のころ、いや、つい先年まで、世界はもっと単純なものだと思っていた。  考えても、迷っても、間違いを繰り返しても、本当のことはわからない。  結局のところ行動だけが答えなのだと、タルドゥはすでに学んでいた。  小さな足跡の上の塩の小山に向かい軽く礼拝のしぐさをして、タルドゥは目の前の樹木に向き直った。
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