21-2

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21-2

……ヘルガは死んでいる。ヘルガには舌がなかった。最初からそのように創られたのか、記憶がない時期に切り取られたのか、ヘルガにはわからない。ただ、周りの女たちは皆彼女と同じで、小屋に来る男たちは皆喋っていたから、きっと口が利けるのは男だけなのだろうと思っていた。  ヘルガは鎖につながれていた。他の女たちと同様に。戦場のはずれの馬小屋のような場所に詰め込まれて、鉄の首輪を鎖でつながれたまま、寝て、起きていた。立つことができなかったので、食事は這いつくばって食べた。それも、周りの女たちが皆同じようにしていたから、特別なことだとは思わなかった。男たちは女たちを仰向けにしたり、うつぶせにしたり、四つん這いにさせたりしたが、立たされることはなかったので、それで支障はなかった。  戦場は寒かった。男たちは斬られたり焼かれたりして死んでいたようだが、女たちにとっての問題は寒さだった。女たちは皆裸のまま放置されていたから、雨季になると病気になる者が次々と出た。男たちに病気がうつるといけないので、長く病気が続く女は廃棄された。廃棄というのは廃棄所に送られて、処理を受けて、都の下の濠に落とされることだった。戦場では正式な廃棄が面倒だったので、単純に小屋の裏で殺される女も多かった。  ヘルガも病気になった。体中に赤いぶつぶつができて、それが気味の悪いこぶになっていった。イシャという男が、これは悪い病気だと言った。何年かで必ず死ぬ病気で、男たちにうつると男たちも死ぬのだという。男たちはヘルガのことを気味悪がって近づかなくなっていたから、うつることなどない気がしたが、イシャという男は「これは規則だから悪く思わないでくれ」と言った。イシャが出て行ったあと、入れ替わりに体の大きな男が二人入ってきて、ヘルガの鎖をはずした。  立て、と言った。歩け、とも言った。  どちらもヘルガがしたことのないことだった。舌がなかったので、それはできない、と答えることもできなかった。  男たちは嫌そうに顔を見合わせると、小声で話し合い、結局一人が近づいてきてヘルガをかつぎあげた。  男たちはヘルガを連れて、小屋の裏に向かっていった。それでようやく、ああ、殺されるんだな、と思った。  しかし、人影が絶えたところに来て、男たちは二人とも突然死んだ。倒れた男たちの下敷きになって、息ができなくなった。がんばってそこから這い出すと、男とも女ともわからない小柄な人影が腕を組んで立っていた。とても美しい顔立ちをしていた。ヘルガが見たことも想像したこともないほどきれいだった。だから、ああ、これはきっと神様だ、と思った。 「あなたは自由です」  神様は言った。自由と言う言葉を、ヘルガは知らなかった。 「長くここにいるのは良くない。戦場を迂回して、キンメリア軍の陣営に逃げ込みなさい。タルドゥという男がいます。きっと悪いようにはしません」  キンメリアというのが敵なのは、男たちの話を聞いて知っていた。遠くにいるはずだ。ヘルガは歩けないことを伝えようとして、自分の脚を指さし、否定のしぐさをした。 「歩けないわけではない。歩き方を知らないだけ」  神様の言うことは難しかった。ヘルガはどうすればいいのかわからず、神様を見上げ、小首をかしげた。  神様は小さくため息をついた。これは、偽善的だ。だれにともなく、そうつぶやいた。 「私が連れて行くわ。そのほうが、いろいろ速い」  小柄な神様はヘルガを軽々と担ぎ上げ、稲妻のような速さで走り出した。  そして間もなく、ヘルガは死んだ。  男たちの許しがないかぎり、エトルリアの都から離れれば死ぬ。そういう呪いが、女たちにはかけられていたのだった。  少女神も、ヘルガ自身も知るよしのないことだった。  ヘルガがこと切れたことに、少女神はすぐ気づいた。彼女を地に横たえ、埋葬はせず、その場を去った。その後ヘルガは回収され、廃棄された。男たちに病気をうつさないために、必要なことだった。
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