21-?

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21-?

ブランウェンは異界にいた。  絶え間なく灰の降る町だった。  彼女は自分が死んでいることを知っていた。ここは死者の行くところだと知っていた。  石造りの特徴のない建物が並んでいた。  死者たちは生前のすがたのままさまよい、たたずみ、うずくまっていた。  何もかもが灰色にぼやけていた。  死者たちは労働から解放され、飢えや渇きから解放され、喜びも悲しみもなく、ただぼんやりと無限の時を過ごしていた。  死者たちは言葉を忘れているようだった。  誰に話しかけても、ぼんやりとした無表情が返ってくるだけだった。  ブランウェンは喉の渇きを感じ、井戸を探した。すぐに井戸は見つかった。それは灰で埋もれていた。  自分は他の死者たちと違うようだ。  ブランウェンは漠然と考えた。  この町を出ようと思った。特にあてもなく風上に向かってみた。坂道を登り、町を取り囲む低い石垣を越え、丘を登った。  灰が舞い、煙が立ち上る場所に出た。丘の向こうで地が裂けていて、裂けめの中で火が燃えていた。  業火の中で、人々の怒りや悲しみが燃えていた。それはゲヘナの火。魂を焼き消す炎だった。  魂から解き放たれた霊が、金色に光る泡のようなものとなって、ふわふわと空に舞い上がっていく。  魂は地に帰り、霊は空に帰る。  それは美しくも恐ろしい光景だったが、同時に、道の終わりでもあった。  ブランウェンは膝から崩れ落ちた。悲しみを感じた。涙が一筋頬を伝い降り、涙のしずくが、人の姿をとった。小さな人の姿は見る間に膨れ上がり、見上げるような巨人となった。  ブランウェンの八倍ほどの背丈を持つ、美しい成熟した女の姿となった。  女神だと思った。習慣化された、半ば無意識の動作で、女神に向かって拝礼した。 「拝礼は必要ない。私はそなたの神ではない」  女の姿をした何者かは言った。では、何者なのか。その問いが心に浮かんだ時、女の姿をした者は答えた。 「私は死せるものたちの女王。ゲヘナの番人でもある」  女王は重ねて言った。 「そなたの涙が私を呼び覚ました。生前の名残りではない、生きたみずみずしい悲しみはこの世界では極めて珍しい。答えよ。そなたの涙の理由を」  ブランウェンは答えようとした。言葉より先に嗚咽が込み上げてきた。  アリアンロッド。  苦しい呼吸の隙間から、辛うじてその名を言った。 「その者はおまえの子か?」 「違います」 「契りを交わした男か?」 「違います」 「しかし、現し世の何よりも愛しく思っているのだな」  そのことを口にしたことはなかった。誰かにそう言われたこともなかった。女王にそう尋ねられて、はじめて強烈な実感がわいた。ブランウェンは、内なる感情の渦にかき乱された。 「会いたいか?」 「会いたいです!」  涙でぐしゃぐしゃになった顔で、ブランウェンは叫んだ。 「私は、ゲヘナの向こうへ、現し世へ渡る橋をかけることができる。そなたを彼岸に戻すことができる」   ブランウェンは呼吸を忘れた。驚きに目を見開いた。 「ただし、そなたは代償を払わねばならない。そなたがその者と結ばれることは決してない。そなたはこの雨季が終わるまで生き、ゲヘナで焼かれ、生まれ変わる。この先幾千回、幾万回と生まれ変わるが、愛する者と結ばれることはない。幽り世の者を現し世に帰す代償は、かくのごとく重い。それでも良いか」  ブランウェンは地に手をつき、うつむいた。涙は止まっていた。ブランウェンは、自分の中の覚悟を問うていた。  かまわない。そう思った。生まれ変わった後のことなど知らない。  私はただ、アリアンロッドが欲しい。ただ彼だけが欲しい。  それがいびつでも間違っていてもかまわない。  彼に愛していると告げたい。彼の答えを聞きたい。それでいい。ただそれだけでいい。 「私はその道を行きます。その橋を渡ります」 「そうか」  女王はかすかに微笑んだように見えた。 「実は、そう言ってくれて助かるのだ。今の問いは、私にとっても賭けであった」 「……どういう、ことですか」 「そなたの目に光を注ぎ込もう。見出すべきものがわかるように……さあ、行くがよい。そなたはもう、そなたのなすべきことを知っている」  女王は消えた。  後には、かすかな涙の跡が残るだけであった。  しかし、ゲヘナを渡る橋は、見まがいようもなくそこにあった。  ブランウェンは立ち上がった。  涙で汚れた顔を、ごしごしとこすった。  決然とした眼差しで、彼女は歩き始めた。
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