【1章】訳アリ少女とエセ関西人

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 日中の焼けるような日差しが陰り、眩しいほどの夕焼けが街を染めていく。  今歩いている『ゆうやけ商店街』の名前にふさわしい綺麗な赤色に染められた通りを進んでいると、隣を歩く雪也さんは解放されたように大きく伸びをしてみせた。 「はぁー! しんっっど!」 「お疲れさまでした、雪也さん」 「あやめちゃんもお疲れさん。にしてもあやめちゃんのところの先生、真面目なのはエエんやけどやたら話()ごない? 事情聴取にお説教、足してあの長さはアカンやろ」 「あはは……夕方になっちゃいましたからね」  ホームルームを終えて生徒玄関を出たのが正午前。それから騒動に巻き込まれ、事情を説明して、今こうして家に帰してもらえたのが十七時過ぎ。途中で養護教諭の先生がくれた菓子パンがなければ、きっと今こうして歩くのもままならなかったと思う。  先生の優しさに感謝しながら、私と雪也さんは鳴り続けるお腹の虫を止めるべく、通い慣れた商店街で一軒また一軒と晩御飯の食材を買い足していく。  今日の晩御飯は麻婆茄子。早く買って、早く作ろう。  そう思ってつい足早になってしまう体が止まったのは、隣を歩いていた雪也さんが視界の端から消えてしまったからだ。 「まぁ。先生たちが怒りとぅなる気持ち、分らんでもないけどな」  艶のある茄子と八百屋のおばちゃんがオマケしてくれた葱と人参。それらが入ったエコバッグを片手に、雪也さんは足を止め、振り返った私に問いかける。 「あやめちゃん。なんであんな無茶したんや?」  笑顔を浮かべている。微笑んでいる。だけど、雪也さんは笑ってはいない。  長い間一緒にいたからこそ、彼の内面は見抜けるようになった。まとう空気の些細な変化に気付けるようになった。  だから私は身体を雪也さんにしっかり向けて、彼に応える。 「クラスメイトって言っても、そんな仲良うないやろ? あんな無茶までして、助ける意味あったん?」 「意味って、そういう問題じゃ――」 「庇って、自分が怪我して、そこまでして助けたかったんか?」  言いたかった言葉を遮られて、真剣な眼差しを向けられる。  太陽を背負った雪也さんは、逆光のせいもあっても表情が読みづらい。それでも彼が怒っていることは、半音落ちた声色と物言いで分かる。  ――自分が怪我をしてまで、助ける必要(意味)があったのか?  確かに咄嗟に身体が動いたとは言え、ただのクラスメイト相手に自分を犠牲にしてまで助ける必要はあったのか。雪也さんが助けてくれたからこそ怪我がないものの、私に傷つく覚悟があったのか。選んだことに後悔はなかったのか。 「…………」  雪也さんに問われて、私は自問自答する。  きっと今の私の中には完全に納得できる答えはないし、雪也さんの問いかけに“正しい”と思って出せる答えはない。  それでも、 「助けたかったです」  私は、宇堂さんを助けたかったんだ。 「自分より力の強い相手に気圧されて、怖い思いをしている。そんな彼女を私は助けたかった」  騒動の後に聞いた話だけど、あの男は宇堂さんの元カレだったそうだ。  モデル活動前から付き合っていた人だったけど、彼女の活動の幅が広がるにつれて束縛が酷くなり、別れた後にはあぁして付きまとうようになったという。  声を震わせて事情を説明してくれた宇堂さんの姿。彼女の頬を濡らした涙を思い出すと、私はどんな形であれ彼女を助けたことは“正しかったこと”だと思ってしまう。そう思いたい自分がいる。 「……だってあれは、とても怖いことだから……」  私が過去に受けた恐怖を、宇堂さんにも味わってほしくない。  例え経緯や状況が違っても、敵わない相手に気圧される恐怖はもう二度と味わいたくない。他の誰かに味わってほしくない。  ――それが、私の本心だった。 「……はぁ」 「雪也、さん?」  頭上から降ってきた溜息と、頭を覆う大きな手の温もり。気づいた時には、すぐ側まで歩み寄った雪也さんが私の頭を優しく撫でていた。  髪を乱さないように、優しく、優しく。髪の流れに沿うように何度も優しく撫でた雪也さんは、もう一度息を吐くと顔を上げた私と目を合わせ、今度は心から笑ってくれた。 「後先考えんと飛び出すのは良くないけど、心優しいあやめちゃんらしいな」  若干困り顔に見えるのは気のせいじゃない。その原因が私にあるのは言うまでもなく、それでも彼は笑って言ってくれる。 「エエよ。気の赴くまま動きや。止めたりせんから」 「いいん、ですか?」 「かまへん、かまへん。その代わり――」  雪也さんはそこで言葉を区切ると、身長差のある私に目線の高さを合わせてから、ゆっくりと言葉を紡いで言い聞かせた。 「困ったら、ちゃんと助けを呼ばなアカンよ。分かった?」  私が忘れないように、今日みたいな無茶をしないように。  大事になっても、それでも雪也さんは私の気持ちを尊重してくれて、こうして優しい言葉をかけてくれる。  まっすぐで、ずっと変わらない真心が嬉しくて、私も素直に頷いて彼にお礼の気持ちを伝える。 「はい、ありがとうございます」  胸の中は言葉で言い表せないほど感謝の気持ちがいっぱいなのに、今の私にはこうして言葉で想いを伝える以外の術を知らない。  それでも限られた方法で自分の気持ちを伝えたくて、私はもう少しだけ言葉を続ける。 「だけど次からは危なくなる前に、『助けて』って雪也さんのこと呼びますね」 「そらエエわ。必ず俺の名前、呼んでや」  その時は今日みたいに、カッコよく助けたるさかい。  再び頭を撫でながら満面の笑みを見せてくれる雪也さんにつられ、私も笑って彼の言葉に大きく頷いたのだった。 <続く> ⇒ .
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