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駅までの道を歩いていると、マンションの敷地内の片隅に、サーフボードが立て掛けてあるのが見えた。
住人のものだろう。皆サーファーなのかな。
「結人はもう、サーフィンしないの?」
「俺は卒業した。怪我でもう乗れないから。波もバイクも」
隣を歩くようになって気づいたのだが、結人は歩く時に足を少し引きずっている。痛みはないが、上手く動かないそうだ。
『無茶やって波に飲まれたんだ。そん時、岩場でざっくりやっちゃって』
ケロイドみたいに引きつれた傷痕が、左のふくらはぎに走っている。
あ もしかして…
「病院で七海さんと出会ったんだ」
「そゆこと」
10代で病気を発症した七海さんは、入退院を繰り返していた。青空と縁が薄かった彼女は、結人の武勇伝を楽しそうに笑って聞いていたそうだ。
「俺は馬鹿だからさ。ボードとバイクを取ったら何も残んない。笑わせることでしか、彼女を励ましてやれなかった」
「…何もないことない。あたしは結人に支えてもらったよ。去年より元気になったでしょ? きっと七海さんもそうだったと思うよ」
「だな。サンキュ」
照れくさそうに結人が笑った。
私が結人に出来ることが
何かあればいいのに
鎌倉高校前駅の踏切に、さしかかった時だった。
「このアングルもいいんだけど、あの坂の上からだともっと海が見えるんだ」
「へえ。ホント?」
坂の裾からのこの景色が好きで、何度もここを訪れている。
踏切とその先に見える砂浜と海。
私にとっては夏の象徴だ。
「なっちゃん。競争しよ」
ぼんやり海を眺めていた私に、結人が言った。
「えっ、何。急に」
「よーい、ドン!」
結人は坂を駆け上がっていった。
同年代の男性にしたら遅い方なんだろう。だけど、不意を突かれたのと、こっちはミュールだ。
「ゆいとっ」
私は急いで追いかけた。
勾配は思ったよりも急だった。
ぐんとせり上がって空へと続きそうなカーブに、私は足を取られ、てっぺんに登りきった結人の背中には追いつけなかった。
歩道の端に座り込んで、肩で息をする彼の隣にしゃがんだ。
「何、なの。ずる…」
「ははっ。ごめん…」
呼吸がようやく落ち着くと、結人が立ち上がった。
「なっちゃんの負けだから、俺の言うこと何でも聞いて」
「何でよ? 勝手に競争始めといて」
「ひとつだけ」
結人は私の手を取った。
その力強さに嫌でも「男」を意識してしまう。
この頃の私は変だ。
気がつくと結人のことばかり考えている。こんなふうにされたら、気持ちがふわふわして落ち着かない。
私はまだ
次の恋をする準備は 出来ていないのに
「来週の花火大会、一緒に行こう。髪はアップにして、浴衣着てきて」
「ちょ、ひとつって言ったじゃん」
「うん。それでひとつ」
結人はにこにこ笑っている。
「ほら、海」
彼の指差した先に見える目映い海は、夏の陽射しに白く霞んでいた。
でも…
「さっきより見えないよ」
「悪い。テキトーに言った」
家の塀に切り取られた小さな水面を眺めながら、私たちはしばらくの間、歩道の日陰に佇んで風に吹かれていた。
結人はずっと私の手を離さなかった。
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