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『夏月。なっちゃんか』
他の人の「夏ちゃん」とは少し違って、結人はいつも柔らかく私を呼ぶ。
彼は自分の住む鎌倉をとても愛していた。
『あんな時間に泣いてる女の子を、放っておけなかったよ』
去年の夏、東京から一人でツーリングに来ていた私に、結人が声をかけてきた。陽が落ちて危ないからと心配して、バイクを一晩預かってくれることになり、私は改めて翌日に電車で鎌倉へ戻ってきた。
その時に彼がある「秘密」を話してくれた。
「あれ、俺のだった」
「え?」
「ZZRさ」
私のバイクは元々は、恋人だった圭介の形見だ。
圭介の納車は6年前だったが、それがその前の年に手放した結人のものだというのだ。
サーフィンに明け暮れていた10代、結人もカワサキのZZRに惹かれていた。
2006年式の、海と同じ色のダークブルー。
「ここをカスタマイズしたの覚えてるよ。残ってたんだな」
懐かしそうに手を触れる結人の横顔は、きらきらして少年のようだった。
潮風が当たり前のこの街で、ここまで綺麗な状態を保つのは大変だったと思う。それだけ結人が手をかけて大事にしていたということだ。
圭介も負けじと大切に扱っていたのを思い出す。
「凄い偶然だね」
「俺たちの出会いって、つくづく運命的だと思わない?」
おどける結人の頭を私は優しく小突いた。
「戻ってきて欲しい? このコに」
何度かバイクで鎌倉を訪ねた時に、聞いてみた。
「何で。いいよ。彼の形見なんだろ」
「うん。でも、結人が大切にしてたのはわかるから。機械のこと何も知らないあたしが持ってるより、よっぽどいいかなって」
結人は優しく笑う。
「なっちゃんがいいなら、俺は構わないよ」
いつもの彼の台詞に、私は安堵と僅かな戸惑いを覚える。
亡くなって3年も経つのに、まだ圭介を忘れられない私は、去年その想いを吹っ切るために鎌倉にやって来た。
だけど、圭介と過ごした時間が眩しすぎて、実際はまだ一歩を踏み出せないままでいる。
『またデートしようよ』
そんな私に、結人はとても優しかった。
初めは絶対ナンパだろうと思っていた。
でも、口先では口説いたりしても、結人は私に触れようとしなかった。お会計で小銭を渡したり、バイクの手入れをしている時に手や体が触れることはあるけれど、それ以上は何もない。
私に気を遣ってるのかと思ったが、実は結人も同じ悲しみを抱えていたのをあとから知った。
『変な共通点だな、俺たち』
結人はぽつんと言った。
顔を見ると、困ったように笑っている。
『俺もね、彼女に死なれたの。もう5年も前の話』
七海さんという人で「すっげえ美人」だったそうだ。
『出会った時から病気だったから、覚悟してたんだけどね』
彼はため息をついて、空を見上げた。
未だに時々思い出すらしい。
『でも、なっちゃんが来てくれたから、だいぶ復活したよ』
あたしなんて
結人に 何も出来てないのに
圭介は何もかもが初めての恋人だった。
忘れられるわけがない。
たぶん、それは結人も同じ。
一緒に時を過ごした大切な絆がある。
『そんなの、時間で区切れるもんじゃねえから』
出会った夕暮れの中で、圭介を思い出して泣きじゃくる私に、結人はそう言ってくれた。何も知らないくせにと思った私の方が、何もわかってなかった。
その言葉がどれだけの間、彼の心の中を占めていたのかを。
きっといくつもの季節を彼は一人で過ごしてきた。
誰にも弱みを見せず、向日葵みたいな笑顔で。
私も結人の力になりたい
この一年、私に寄り添ってくれた結人に何かしてあげたい。
そう思っていた。
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