一 大八車

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一 大八車

 長月(九月)七日。  公儀(幕府)が正式に発布した天下普請の触書により、江戸市中改築造工事が始まった。随所で道の拡幅工事や堀の延長、橋の改築や石垣の改築、海浜の埋め立てが行なわれている。  本来、荷は堀を舟で運ぶが、道の拡幅や海浜の埋め立てに使う資材は、運脚や馬を使って陸路を運ぶ。運ぶ物が増えると限界があるため、大八車の需要が増えた。  長月(九月)十三日。夕刻前。  神田横大工町の長屋から、藤兵衛の活気に満ちた声がする。  唐十郎は、今帰った、と言って藤兵衛の長屋に入り、藤兵衛たちの作業を見つめた。 「お帰りなさい。車の車輪を作ってます。」  車とは大八車だ。藤兵衛に、江戸市中改築造工事の運搬用大八車を造って欲しい、と頼む客が増え、藤兵衛と正太は大忙しだ。 「こうやって組み合わせて丸くして・・・」  藤兵衛は、台形の厚板の上底と下底に凸凹二種類の鉋をかけて、扇の骨を抜いたような形の幅の狭い木片を八枚合わせた。木片は円形になって厚味のある輪に変身した。 「鉄の外輪をはめて車輪にして、この輪の内側から丸棒を軸受けに伸ばして、軸受けに軸を通せば車輪のできあがりです」  正太は欅の細い角材に鉋をかけて四分径の丸棒に仕上げている。 「正太の作っているのは軸受けの中に仕込むコロです。車輪の回りが良くなります」  藤兵衛が話している間に、藤兵衛の女房のお綾が井戸端から野菜を洗って戻った。 「お帰りなさいまし。ここが片づいたら夕餉の支度をしますね」  お綾は唐十郎を長屋の奥に招いてお茶をいれた。土間は鉋屑だらけだ。 「天気がいいんだから、外でしておくれと言ってるんですよ」  お綾は、居間兼寝間の畳の部屋が、大工仕事の塵と埃で汚れるのを嫌っている。 「竃の焚付けが増えて、当分のあいだはこまらねです。唐十郎様」  長屋は狭い。四畳半ほどの畳の部屋が二間と土間兼炊事場がある藤兵衛の長屋は珍しい。唐十郎の長屋のように畳の部屋一間に土間兼炊事場が付いているのが一般的だ。 「外に作業場があるのに材料が濡れたら困るの一点張りで、この有様ですよ」  ここ横大工町のような大工町には、長屋の外れに大工仕事の作業場があるが、藤兵衛はお綾の思いなどまったく意に返さない。 「お綾さんも悩みが尽きぬな」  とは言え、藤兵衛も正太も長屋の土間に腰を据えて仕事している。高所で仕事する二人を思ってお綾が気を揉むこともない。大八車一台の手間賃が値上りしているから、お綾の機嫌はいつになく良い。 「それじゃ、あたしは外で夕餉の支度をしますから」 「外では何かと不便だ。我家にあかねも居る故、我家の炊事場を使い、我家で夕餉にすればよい。あかねにそう伝えてくれぬか」 「それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきますよ」  お綾はまな板と庖丁、野菜を持って長屋を出た。  唐十郎は上り框に腰掛け、お茶を飲みながら、藤兵衛たちの作業に見入った。 「出稽古はいかがですか」 「今日は道場だけだ。天下普請で大名家も忙しいようだ」 「あっしらも車の注文が増えて、忙しいやらうれしいやらです」 「手間賃が増えて良いではないか」 「実入りが増えるのはありがたいですが、車が増えて往来も気が抜けなくなりました。往来の危さを思うあっしが、車を造ってんだから、何と言っていいやら・・・」  今日の藤兵衛は、いつになく世間を気づかっている。  江戸市中の通りは大八車が通るように造られていない。大八車を連ねて通ったり、停車するのは、歩く者たちの妨げになっている。 「御触書も出ておる故、心配なかろう」  そう言ったものの、唐十郎は、藤兵衛の言葉、 「車が増えて往来も気が抜けなくなりました」  が気になった。
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