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十五 密約
夕刻。
日野道場へ使いに走った正太が、神田横大工町の唐十郎の長屋に戻った。
正太は夕餉の膳を前に、茅場町の大番屋から戻った唐十郎と藤兵衛に、徳三郎の伝言を伝えた。
「日野先生は、唐十郎様たちと藤堂様たち、それに隅田村の衆に任せておけば、まちがいなかろうと話していました」
「ご苦労だった。さあ、飯を食ってくれ。
みな、明日に備えて、今夜は早く休まねばな」と唐十郎。
「へい。まあ、飲んでくれ」
藤兵衛は正太に酒を勧めている。
「ねえ、おまえさん、明日は早いんだから、正太をうちに泊ってもらおうよ。
まだ陽が落ちたばかりだから、あたしがちょいと正太の家へ知らせてくるよ」
藤兵衛の女房のお綾が正太を気づかっている。
「私もごいっしょします」
日暮れ後の女の一人歩きは危険だ。唐十郎の妻あかねは、お綾の身を案じている。あかねは、今は亡き大老堀田正俊の養女で、堀田正俊に使えていた忍びだ。
「それなら、私とあかねが行こう。往復で四半時だ。
ちょっと待っていてくれ」
唐十郎は床の間の刀掛けの妖刀と脇差しを帯刀し、あかねと共に外へ出た。
「やっと、唐十郎様と二人になれましたなあ」
「はい」
唐十郎はあかねの手を握った。竪大工町の正太の長屋への道すがら、今回の一件について、今日の出来事をあかねに説明した。
あかねは唐十郎の手を握りしめ、探ってきた廻船問屋吉田屋について説明した。
「今宵、浪人たち七人が詰めているのは、橘町にある廻船問屋吉田屋の蔵です。
今時、浪人たちは打ち合わせも終わり、吉田屋から届いた夕餉を済ませた頃でしょう」
廻船問屋吉田屋がある新大坂町からお堀の千鳥橋を渡った橘町に、廻船問屋吉田屋の蔵がある。
「吉田屋の主は、今夜も明朝も、店の奥か」
「高見の見物を決めこんでいるのでしょう」
「では、夜更けに・・・」
「はい・・・」
あかねが唐十郎の手を強く握った。
その後まもなく、唐十郎とあかねは、竪大工町の正太の母親に、
「今宵、正太は御用の筋で藤兵衛の長屋に泊ります」
と知らせた。
四半時も経たぬうちに、唐十郎とあかねは長屋に戻った。
「さあ、しっかり食べて、明日に備えとくれ。
おまえさん。お酒はもうだめ。明日は大変なんだからね」
藤兵衛はお綾に言われ、茶碗に酒を注ごうとしていた徳利を引っこめた。
「飯を頼む。菜の花の炊き込み飯はいいもんだ。綾がここに来た時・・・」
「その話も長くなるからだめですよ。またこんどね」
菜の花の炊き込み飯は、藤兵衛とお綾の想い出の飯だ。これが膳に並ぶと話が長くなる。
その頃。
徳三郎は浅草熱田明神傍の日野道場から早駕籠を走らせ、神田猿楽町にある勘定吟味役荻原重秀の屋敷に居た。特使探索方の実の上役は勘定吟味役荻原重秀である。
徳三郎は荻原重秀に、此度の隅田村における弥助斬殺の容疑者捕縛と、裏世界で香具師の元締藤五郎の甥を騙って香具師の元締として暗躍している吉田屋吉次郎の動きを報告して提案した。
「藤五郎の一件で養女お藤を表沙汰にせずに江戸所祓いにして頂いた結果、吉次郎の悪行が明らかになりました。
此度の事件解決の折は、お藤に香具師の元締の跡目を継がせたいのです。さすれば、探りを入れずとも、裏世界の事情が判明します」
「なるほど。妙案です。よくぞ知らせてくれました。
事件が解決したら、そのように計らいましょう。
ところで、夕餉を馳走したいが、如何ですか」
「明日は早朝から吉次郎一味の大捕物になります故、これにて失礼いたします」
「では、いずれの機会に酒肴を共にして下さい」
「ありがとうございまする。此れにてお暇致します」
徳三郎は早々に屋敷を辞去し、待たせた駕籠に乗った。
その夜。
夜九ツ(午前〇時)。
唐十郎は目覚めた。あかねと睦みあったまま眠っているように、褥に褥を丸めて入れ、唐十郎は天井板を動かして風呂敷包みを取りだし、あかねと共に、中に入っている黒装束を身に着け、妖刀と脇差しを帯びた。あかねはそれまで着ていた二人の衣類を風呂敷に包んで天井裏へ上げた。
唐十郎が有明行灯を吹き消し、片膝を突いてもう片方の膝を立てた。その膝を踏み台にし、あかねが天井へ舞い上がり、天井裏から太い麻の綱を垂れた。唐十郎はその綱をつたって天井裏へ上がった。
天井裏から、隣の長屋の藤兵衛とお綾と正太を見た。あかねが夕餉の吸い物のお椀に塗った眠り薬が効き、三人はぐっすり眠ている。
神田横大工町の長屋から人影が現われ、小走りに夜の闇へ消えた。同時に、長屋の屋根に黒い影が現われ、夜の闇へ消えた人影を追って屋根伝いに消えた。
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