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①
人間は愚かな生き物だ、と思う。
「願いごと?」
『そう、願いごと。アナタが望む何かを3つまで叶えてあげる』
眼前に立つ、胡乱な目つきでこちらを見つめる人間がひとり。
大雨の中、傘をささず濡れっぱなしになっているその姿は、ひどく無力でとてもみすぼらしい。
年齢はおそらく20にも満たないだろう。
「何者だ?」そんな問いが透けてくるような表情をしている。
淀んだ雰囲気がその全身を包んでおり、私は思わずニヤリと笑ってしまった。
「フン、馬鹿馬鹿しい。まるで悪魔との契約みたいじゃないか」
少しばかり逡巡する様子を見せたあと、吐き捨てた言葉を追うように、男が視線を足もとに戻した。
その先には、水かさを一気に増して轟轟とうねりを打つ川が覗える。
飛び込めば人間なんぞ、きっとひとたまりもない。
『あら? 別に馬鹿馬鹿しいことなんてないわ。だって私は本物の悪魔だし、本当に悪魔の契約を交わそうとしているんだもの』
「何を言ってやがる」
『真実』
「……こっちはアンタみたいな気狂いに構ってる余裕なんてないんだ。向こうに行ってくれ」
ザーザー、轟轟、轟轟。
男の瞳孔が広がった。
『つれないわね。ものは試しで何か願ってみれば良いのに』
一歩近付く。
比較的大きな橋の上。
私たち以外は誰もいない、二人だけの世界。
深夜2時。強まるばかりの雨脚。
「ものは試し、か。ふん、今まで散々頑張ってきたさ。できることは全てやってきた。それでも駄目だったから、俺は今こうしてここにいるんだ」
視線を足もとに固定したまま、男が半ば投げやりな口調でそう答えた。
「どうせ俺は出来損ないなんだ」
『……』
ここは慎重に進めなければいけない。『そんなことはないと思うけど』私は努めて明るい声を出した。
踏込み方を誤れば最後。男は何ら躊躇することなく、川に救いを見出すことだろう。
「何も知らないくせに好き勝手言いやがって」
『フフフ、過去を悔やんでいたって仕方ないわ。大切なのは今であり未来でしょ?』
久しぶりの獲物だ。失敗は許されない。
「うるさい。アンタに何がわかるっていうんだ」
視線が絡み合う。
『……わかる。わかるわ。アナタが抱える苦しみや葛藤。その他諸々負の感情全て。私は余すことなく、その全てを理解できる』
「……」
『アナタは今まで頑張ってきた。だからアナタに優しい存在が一人ぐらいいたって良いじゃない』
「……」
『アナタは今から生まれ変わるの。私がアナタを生まれ変わらせる。大丈夫、未来は希望で満ちているわ』
「……希望?」
男の関心がこちらに移った。
──いける。このまま耳触りの良い綺麗事を吐き続ける、物わかりの悪い女を演じ続けていればきっと。
『ええ、希望。この世界はアナタが思ってる以上に優しく、そして』
「……」
『甘い』
「チッ」と男が聞こえよがしに舌を打った。その顔には明らかにそれとわかる怒りが張り付いている。
──もう一押し。
『フフフ、駄目でもともとでしょう? そんな怖い顔してないで何か願ってみたら良いじゃない。そうすれば私が真実を語っていると納得できるはずだわ』
「うるさいな。それじゃあ、この雨をすぐに晴らしてみろよ。それができないなら即刻ここから立ち去ってくれ!」
パチンッ。
──契約締結。
やっぱり人間は愚かだ、そんな思いが頭を掠める。
「えっ……?」
私が指を鳴らしたのと、男が頓狂な声を上げたのはほぼ同時だった。
「そっ、そんな嘘だろ」
『残り2つ』
空には大きな満月がポッカリと浮かんでいた。
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