メェ博士と愉快な案件~番犬の反逆~

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 生まれたばかりの私は、ただ貪欲に世界の形を知ろうとした。  施設の人間(いわ)く、ナノテクノロジーによって成長する機械生命体――超高性能アンドロイド羊。  食事と太陽光をエネルギーに変え、眠りもすれば夢も見る。  それが私だ。 「モコモコ~……にょほぉ、堪らんのですぅ」  体が締め付けられている。脇腹の辺りにグリグリと熱を感じた。 「……何をしているのかね、アイリー(じょう)」 「メェ博士にハグ。フワッフワで、とっても気持ちいいの」 「そういうことでは、ないのだよ」  腰にまとわりついたピンク髪の幼女を()がす。八才ほどの容姿をした彼女は「そんなぁ」と小さな腕を伸ばした。  どうやら椅子に座ったまま寝ていたらしい。昨晩は深夜まで働いていたので、いつの間にか過負荷(オーバーワーク)状態になっていたのだろう。  未だ呆けた頭で、事務所内を見渡す。壁際の棚に並ぶ電子機器。部屋の中央には来客用のソファーとテーブル。奥まったところに最低限の居住空間が広がっている。ワンフロアの事務所は、自宅と職場が合わさった生活感を(にじ)ませていた。  ドアは……開けっ放しか。  こういう時、何かしらのセンサーでも搭載(とうさい)されていれば便利だと思う。しかし私は、外見も中身も生き物に近く設計されている。見た以上のことは、推し量るしかあるまい。 「自動施錠(オートロック)のはずだが?」 「前来た時に、メェ博士がボタン押してるとこ見てたの。あ、玄関にあった干し草ロール、ちゃんと冷やしてあるからね」 「余計なことを。君の祖父母には断ってから来ているのだろうね?」 「うん! おじいちゃんも『遊びに行っておいで』って」 「ここを遊び場にしてくれるな。まったく」  早急に暗証番号を変えなければ。あるいは羊にしか開けられないように、ドアのメーカーにでも相談するか。  ふんわりとボリューム感のある、ピンク髪の幼女――もといアイリー嬢は、とある案件を機に、私の事務所に入り浸っている。  初めは『仕事の邪魔だ』と追い返した。だが頑として(ゆず)らぬ性格に、かゆいところまで手が届く世話好きな一面もあり、私は何も言えずにいた。  せめてもの抵抗も、ご覧の通り(むな)しい結果に終わっている。 「ふーんだ。メェ博士が遊んでくれないなら、ワンちゃんとゴロゴロするもん」  トマト色のフリルを(ひるがえ)すアイリー嬢。  言われて気が付いた。膝上(ひざうえ)にあった温もりが、いつの間にか消えているではないか。ひょいと二本の短足で立ち上がり、私は目線を高くした。 「あ、ワンちゃん! ご飯食べた? 一緒に遊ぼ!」  台所の方から元気よくアイリー嬢に駆け寄る、白毛のプードル。  ワンは吠えるどころか、アイリー嬢の周りをクルクルと回って、盛大に尻尾を振りまいていた。どうやら番犬としての誇りは捨てたらしい。すっかり飼いならされている。というか勝手にエサを与えないでくれるかね。  注意しようとして言い(よど)む。騒がしいのは苦手だが、孤独なのは嫌いだ。あの生まれ育った施設を思い出してしまうから。 「静かにしたまえよ」 「はーい!」  はにかむアイリー嬢に、私は溜息を(こぼ)した。自分の口元が今、どういう形をしているのか分からない。  やはりバイタルチェックくらいの機能は、必要ではないか?  一息入れて、浴室のミストシャワーで全身を洗う。真っ白い羊毛は温風で丁寧(ていねい)に乾かしていく。少し重たくなってきたな。刈り入れ時かもしれない。  そうこうしている内に機械が()れたハーブティーの、豊かな香りが漂ってきた。  文明が発達した今の時代、手足がヒヅメでも人並みの生活が送れてしまう。  例えばボタン一つでオンとオフ。紳士服を脱がすも着さすも自由自在。取っ手の要らないティーカップに――眼球の動きだけで制御と入力が出来る、片眼鏡(モノクル)型のコンピュータ。  内部の処理が複雑になるほど、外部の入出力は単純化される。  大抵のことを機械で(おぎな)える昨今、重宝されるのは『演算を超えた頭の良さ』だ。  人であれ、人工知能であれ。かく言う私も、頭脳労働を生業(なりわい)にしている。  こんな身なりをしている手前、滅多なことでは外出しない。  ハーブティーを楽しみながら、昨晩片付けた案件をメールで送った瞬間――通知音が鳴った。  私は届いたばかりの半透明な封を宙に投げ、二本の前足で拡大した。  件名:【極秘】親愛なるメェ博士へ  またか。相変わらず羊使いが荒い。  奴の依頼は極秘が多く、早急な対応を求められる。いわゆるブラックな仕事。  法外な報酬でなければ(そで)にするものの、今は食い扶持(ぶち)として頼らざるを得ない状況だ。  私は苦虫を噛み潰す思いで、メールの封を開けた。 『どうもメェ博士。そろそろ退屈にしているだろうと思って、案件を持ってきたよ。今回も奇妙で愉快な内容さ。喜んでくれ。  さて、君も知っている大手セキュリティ会社セコーム。つい先日、そこの人事部長であるサエグサ邸に泥棒が入った。留守の間を狙った犯行だ。  お察しの通り、まだ世間では騒がれていない事件だよ。情報漏洩(ろうえい)の観点から、これを知っているのは極一部さ。  いやはやセキュリティ会社の上役が空き巣に()うだなんて、笑い話にもならない。  盗まれた金品は微々たる物だが、それ以上に置き手紙が物騒でね。  ――この事実を公表してやる、と。  まあ、そんなわけで、メェ博士の知恵を借りたい。  もしこれが明るみに出れば、セコームの社会的損失は計り知れないだろう』  ちょうど半分ほど読んだところで、机越しにアイリー嬢が顔を出した。ぬいぐるみのように抱かれているワン。満更でもなさそうだ。 「お仕事のメール?」 「そう、奴からの案件でね」 「あの人キラーイ。なに考えてるか分かんないんだもん」  くるりと反転したアイリー嬢は、(ほほ)(ふく)らませながらソファーに座った。 「……たった一回会っただけで、ずいぶんと嫌われたものだね」 「頭なでてくるし。メェ博士のことモフってくるし」 「それについては怒っていい」 「メェ博士のオトモダチでも追い返したくなるの」 「やめたまえ。というか君も部外者なのだがね」 「ひっどーい! もう家族みたいなものだもんね、ワン?」  (なつ)かないでくれないか。ワンも返事をするんじゃない。  奴とは施設からの腐れ縁だ。私の人格を多少なりとも歪ませた張本人である。だが色々とツテを用意してくれた友人でもあるわけで。邪険にはしても無視は出来まい。  それに……この仕事は、アンドロイド羊である私に、(いろど)りを与えてくれる。  操った小型ドローンでティーカップを(かたむ)け、ひと(すす)り。良い具合に冷めていて美味だ。私は残り香を楽しみながら、メールに視線を戻した。 『本題に入ろうか、メェ博士。  サエグサ邸にもセキュリティシステムがあってね。  多目的防犯安全ペット——通称ウォッチドッグ。  こいつのセキュリティ(もう)に引っ掛からなかったのが問題視されている。  詳しい性能(スペック)とメーカーの解析結果は、警察の捜査報告書と一緒に添付(てんぷ)しておくよ。  期限は明日の午前二時。そこまではメディアの目を閉じられる。  最低条件はウォッチドッグの不具合(バグ)を見付けること。理想は犯人の目星だ。  依頼人には申し訳ないけれど……僕としては、そろそろメェ博士の悔しがる顔を見てみたいものだね。  期待通りの報告を待っているよ。  (うるわ)しのアイリーちゃんにも、よろしく。  心の友、クロイス・メトロノーム』  何が心の友か。アンドロイド羊に言う台詞では無いだろうよ。  軽薄さが(うかが)える文章に、辟易(へきえき)としてきた。時たま、奴の目的が私を(おとし)めることではないかと勘ぐってしまう。下手を打っても、スケープゴートにはしてくれるなよ。  それにしても、ウォッチドッグか。  セコーム社で売出し中の人気商品。防犯と愛玩(あいがん)(うた)い文句に、相当な額の生産ラインと広告費が投入されていると聞く。なにやら気軽にペットを飼えない中流層の間で、爆発的に売れているのだとか。  もし不具合(バグ)等があった日には、回収と修理(リコール)で大打撃。そしてセキュリティ会社としての信用も失って、セコームは終わるだろう。  正直なところ、大企業が倒産しようと、どうでもいい。  が、機械の謎は気になる。  私は添付された警察の書類を、一覧にして宙へと貼り付けた。背もたれに深く体を預ける。  警察はサエグサ氏の身辺調査と、彼が怪しいと思う内部の人間を追っているようだ。聴取した内容も細やかに裏付けされていた。  そして空き巣に入られた日の自宅記録。インターホンとドアには、改ざん(クラッキング)痕跡(こんせき)が見られたらしい。ちょうど盗みに入ろうという前後で映像は途絶え、ドアが解錠されている。言うまでもなく、どちらもセコーム製。  ドアノブ等に犯人と(おぼ)しき指紋は検出されておらず、物的証拠も落ちていない。置き手紙から犯人を追うことも不可能である。  これらのことから、計画性のある犯行だろう。  凄腕の愉快犯か。あるいはセコームのシステムを熟知している人間か。  いずれにせよ、警察の捜査方針は間違っていない。犯人は身近な人物に(しぼ)られる。  と、なると……やはり問題はウォッチドッグか。  認証システムの欠陥。  何故、泥棒を犯罪者だと判別しなかったのか。  まともに機能していれば、すぐさま警察に通報しているはずだが。  私は続けて、サエグサ邸にあったウォッチドッグのメーカー見解と、性能(スペック)を並べ―― 「メエェ」  思わず(のど)の奥から漏れてしまった。  恥ずべき悪癖を聞き取ったのか、すっと立ち上がるアイリー嬢。 「メェ博士、楽しそうなの」 「ん、実に愉快な案件だった。あとはクロイスに報告するだけだが……解いてみるかね?」 「やりたーい!」 「今回も極秘で頼むよ。まあ心配いらないと思うが」 「にへへぇ。お口、カタイもんね!」  私は頷いて、宙にやった電子書類を束ね、カードを配るようにアイリー嬢へと放った。  抱きとめられていたワンが、ようやく解放される。アイリー嬢は私のメールを指の間でキャッチして、テーブルの上に広げていった。 「これは要らないの」  真っ先に弾かれるクロイスの文章。よろしくする暇さえ無いとは。哀れだ。 「ふーん……ふむふむ」  速読するように次々とページを(めく)っていく姿は、犬と遊んでいた幼女とは思えない。  アイリー嬢が一通り読んだタイミングを見計らって、私は声をかけた。 「では、疑問点を挙げてくれたまえ」 「んー……メーカーが調べても『問題なし』って結果が出てるの。でも、それって『何が原因か分かりませーん』ってことでしょ?」 「そう、つまりウォッチドッグは『正常な状態で泥棒を認識できなかった』と。情報セキュリティ上、記録(ログ)以外のデータはブラックボックスで見れないとはいえ、お粗末な報告だ」  日々更新されていく高度な顔認証システムと、センサーによるバイタル識別。回収後に検査したところ、それらに異常は見られなかった。 「メーカーが出した記録(ログ)を確認してみたかい? ()()()()()()()()()()()()()()()()()」 「なのに通報モードにならないなんて変!」 「だから面白いのではないか」  私が声を弾ませると、ほんのりと顔を赤くするアイリー嬢。 「サエグサちゃんって人、きっと嘘で騒いでるだけなの!」 「自作自演か。私も疑ったが、それは無いだろう。デメリットしかない。そうすることで何かをしたいのであれば、もっと(おおやけ)に動くはずだ。さらに言えば、彼にはアリバイがある」 「アリバイは……犯人と本人の、どっちかに化けちゃうとか」 「良い考えだが、それも不可能だ。事件当時、サエグサ氏は社内で彼にしかできない仕事をしていた。氏に成り代わる方法も、人工皮膚(ひふ)フィルムで顔を変えるのが精々だ。バイタル識別までは突破できまい」  もし成り代わりを実現させるのであれば、氏の記憶と思考をトレースしたクローン・アンドロイドが必要だ。一個人が所有できる代物(しろもの)とは思えない。  決して飼い主を(たが)えることはないウォッチドッグ。流石はセコームのセキュリティシステムと言ったところか。 「うー……あとはサエグサちゃんの家族くらいしか思い付かないの」 「家主の留守中に訪ねて通報モードに入らないのは、家族と認識させた人物のみ。システムを正しく理解した上での推理だ」 「なんだか今日のメェ博士、いじわる!」  ソファーのクッションに倒れ込むアイリー嬢。  いかんな、レディに対しては紳士的でなければ。私は口直しにハーブティーを飲み干した。 「君の為を思ってだよ。知恵は知識と経験で養われる。誰しも苦い見聞(けんぶん)を経て成長ものだ。ちなみにサエグサ氏は独り身で恋人も居らず、親類を自宅に招いたことは無いそうだ。孤独が好きなのかもしれないね」 「……知ってるの。読んでたもん」  そうだろうとも。だが有り得ない選択肢を口にしなければならないほど、演算の幅は狭かった。  泥棒は誰なのか。  本人ではない。成り代わりでも、恋人や親族の類でも。  何故、忠実なる番犬(ウォッチドッグ)は飼い主を裏切ったのか。  各センサーに異常は見られなかった。顔認証、バイタル識別も正常に稼働している。  アイリー嬢が困惑するのも無理はない。  この事件は()()()()()。  だからこそ、私には謎が解けたのだ。  どういった人物が犯人で――どうして人事部長であるサエグサ氏を狙ったのかも。  ふて寝したアイリー嬢の背中に、そっと投げかけた。 「潜在的な不具合(バグ)が、この案件に対する答え(アンサー)だ」 △▼△▼  アフターサービス。  案件を片付けた翌日。奴が私の事務所に訪ねて来たのは、昼時のことだった。  耳下まであるサラサラの金髪を、センター分けにした青びょうたん。明るめなグレーのスーツを着ている所為か、その無駄に長い足が強調されている。 「どうもぉメェ博士、会いたかったよ~!」 「出会い頭に抱きつこうとするな、クロイス」 「つれないねぇ。せっかく君の好きなドレッシングを買ってきたんだ、笑っておくれよ」 「馬鹿め。羊は笑わないのだ」  鋭い切り返しも何するものぞ、クロイスは人懐っこい笑みを崩さない。私と同い年だというのに、落ち着かない男だ。  定例の挨拶を済ませ、きょろきょろと室内を回し見るクロイス。タイルカーペットの床でワンと遊んでいるアイリー嬢を発見するや、糸目を(わず)かに開けて忍び足。 「近寄らないで」  後ろに目でも付いているのか。髪に触れる寸前で、ピシャリと言い放つアイリー嬢。あまりの冷え切った声に、ワンの方が固まってしまった。 「や、やぁアイリーちゃん。よく気付いたね」 「気持ち悪い音で分かるの。ハァハァって」 「んんん、いやいやいや……僕、そんなに興奮してたかな?」 「帰って」 「まあ待ってくれ! お土産もあるんだよ。ほら、最先端のヘアブラシさ! これでアイリーちゃんの髪も、よりフワッフワに仕上がって――」 「要らないの。帰って」 「何をしているのかね、君は」  見るに見かねて割り込む。私が出した助け舟に、クロイスは歯を輝かせた。 「コミニュケーションさ! 円滑な関係性はハグから始めるものだしね。そう思うだろう?」 「手をワキワキさせるな。いいから座りたまえ。アイリー嬢が本気で嫌がっているのが分からんのか」 「え、照れ隠しでしょ?」 「メェ博士。やっぱり、この人……頭が変なの」 「それは認めよう。だが仕事のパートナーとして、やむを得ず相手にしないといけないのだよ」 「うんうん、愛されてるなぁ、僕」  静まり返る事務所内。脳内お花畑か。 「無駄話は終わりだ。事後報告を聞こうではないか、クロイス」  半ば強引にソファーへ座らせる。片眼鏡(モノクル)でドローンを操作して、目の前にハーブティーを置いてやった。こういった(やから)でも客人であることには違いない。飲める相手なら茶ぐらい出す。  薄い唇を湿らせたクロイスは、世間話のような調子で切り出した。 「さてね、どこから話そうか」 「……犯人は、捕まえたのかね?」 「ああ、何もかもメェ博士の読み通りだったよ。()()()()()()()()()()――ヨドミ氏は、朝方に逮捕された」 「なるほど。まだニュースに出ていないということは、今回も隠すのか」 「事が事だからね。全回収してプログラムの書き換え、加えて信用損失。それじゃあ事件を暴露されたのと同じだろう? 平たく言うと、セコームが手間とリスクを嫌ったんだよ」  ウォッチドッグは、泥棒に対して異常を起こしていたのではない。  潜在バグとして()()()()()()()()()()()()()()()()()()。  忠実なる番犬は飼い主を忘れたりなどしないのだ。長い眠りを経て、新たな飼い主の元へ届けられたとしても。  何度でも思い出す。認証システムを作った、生みの親を。 「そのヨドミ氏というのは?」 「最近までセコームのエンジニアをやっていた人間だよ。さながら防犯システムの番人と言ったところでね。多くの商品を手掛けるも、アレンジ精神と大柄(おおへい)な態度に、社内では悩みのタネだったらしい。代わりとなる人材を他所から引っ張ってこれたんで、お払い箱になったという流れさ」  わざわざ人事部長の宅を狙ったのは、私怨(しえん)以外に考えられない。溜まった不満の終着点。異動や査定、首を切られた際に、人事部長というのは必ず関わる役職だ。  大方、サエグサ氏の所為で会社に損失を与えた――という筋書きにしたかったのだろう。自分の非を棚に上げて、責任転嫁。犯罪者の常套手段である。  クロイスは笑顔で「なんにせよ」と続けた。 「ヨドミ氏には法の裁きを受けてもらって、綺麗な身で施設に貢献(こうけん)させたいと思う。マスコミに漏らす前だったから、刑も短くて済むしね。今の内に売れる恩は売っておくさ」 「……初めから、それが目的ではないだろうな」 「まさか! 僕を信じてよ、メェ博士」  ふん、と鼻を鳴らす。疑いたい気持ちは山々だが、私という存在を教えてくれたのも彼だ。その事実をもって信じるしかあるまいよ。 「捕まる前、ヨドミ氏は何か言っていたかい?」  意外な質問だったのか、クロイスは笑みを消して、再び口の端を吊り上げるように(わら)った。 「なぁに、ただの恨み言だよ。『悪いのは俺を飼い馴らせなかった会社だ』と」  クロイスを帰した後、私は椅子に座って天井を仰ぎ見ていた。  無気力に、ぼんやりと。案件のことを考える。  人間という(うつ)ろいやすい生き物と違って、機械は合理的で素直だ。与えられた情報(プログラム)でしか物事を考えない。その根幹には必ず理屈が伴う。  もし、機械が人のように移ろうのであれば、それは――  ふと横を見ると、アイリー嬢が立っていた。何かを言いたそうに、もじもじとフリルの(すそ)を気にしている。  私が優しく「何かね」と(たず)ねると、アイリー嬢は意を決して問いかけた。 「ねぇ、メェ博士……どうして人は、ロボットの犬なんて飼うの?」  それは――その難解な問いには、慎重にならざるを得ない。 「事情があるのだろう。どういった価値を見出しているかは当人次第だ。技術の進歩により、物と生命の境界も曖昧(あいまい)になってきた」 「……でも生きてないと、命の大切さなんて分からないと思うの。ワンちゃんの温かさとか、気持ちとかも」 「どうだろう。東洋では物にも魂が宿るとされているからね。何が大切かは個人が決めることだ。命より物の方が大切だと唱える人間を、私は嫌というほど見てきた。その逆も然りだがね」  機械が人のように移ろうのは、生命であろうとするからだ。  それを知る為に、アイリー嬢は人と暮らし、この事務所にも来ているのだろう? あの祖父母は、君を何よりも大切に思っているはずだ。  私も人というものを学んでいきたい。だから案件を(さば)くのだ。 「メェ博士は生きてるの。フワッフワで、温かくて」 「……ありがとう、アイリー嬢」  私からすれば、誰かに大切にされているアイリー嬢の方が、命に近いと思う。  特異なアンドロイド羊に――欠陥を抱えた、幼女型アンドロイド。  人との違いは永遠に埋まらないのかもしれない。  それでも私達は……たとえ創造主に逆らったとしても、夢を追い続けるのだろう。  しゅんとしたアイリー嬢を気遣ってか、ワンが擦り寄る。屈んだアイリー嬢は、そのモコモコとした体を愛おしく抱きしめた。 「立派な番犬にはなれずとも、寂しさは埋めてくれる。やるではないか、ワン」 「――ウォン!!」  かつてないワンの返事に、私は驚いて椅子から落ちそうになった。  前言撤回だ。  飼い主に吠えるんじゃない、バカ犬め。
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