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九 町方の探り
昼九ツ(午前十二時)
三吉と茂平が馬喰町の居酒屋を出ると、入れ違いに、同心岡野と岡っ引きの鶴次郎、下っ引きの留造が居酒屋に入った。
「女将。二階は空いてますか」
岡野は女将にそう尋ねた。
「空いてますよ。どうぞ、上がってくださいな」
三人は二階に上がった。
「何をお持ちしますか」
女将が座卓にお茶の茶碗を置いた。
「酒と飯を下さい。
ところで、この三人に見覚えがありますか」
岡野は丁寧に話し、仏になった三人の似顔絵を女将に見せた。
「ええ、見た事ありますよ。ゆんべも宵五ツ半(午後九時)ころ、この部屋で煮付けを肴に酒を飲んでゆきましたよ」
「どんな様子でしたか」
「ええ、身なりもしっかりしてたし、支払いも、きちんとすませてゆきました。
ひと月に二度か三度、来てましたよ」
「どんな話をしてたか、わかりますか」
「吉田屋へゆくとか、次は誰か、なんて話してましたよ。
あたしが聞いたのは、そんなもんでしたよ」
「何処の家中の者か、わかりますか」
「そんな話はしませんでしたよ」
「その時、隣の部屋に誰か居ましたか」
「いいえ、誰もいませんでしたよ」
「三人と同じ刻限に来た客で、見慣れぬ者がいましたか」
「いいえ、顔見知りのお客さんだけでしたよ」
「話を聞かせてもらい、助かりましたよ。
何か、変った事があったら、大伝馬町の自身番に知らせて下さい」
「そういえば、昼前に香具師が二人、この部屋に来て、朝飯と酒と文を書く道具を頼んで、昼までいましたよ。香具師が文を書くなんてめったにないんです」
「その二人の名を知ってますか」
「知りませんよ。この辺りの者じゃなかったですよ」
「香具師だと、どうしてわかりましたか」
「ときどき来る二人なんで、これまでの話から香具師だとわかりましたよ」
「どこの香具師か、わかりますか」
「わかりません。ただ、日本橋の話をよくしていました。
あたしがわかるのはそれくらいですよ」
「いやあ、助かります。では、飯と酒を頼みます」
「はあい。お持ちしますよ」
女将は部屋を出ていった。
「ここで、事件の話をしてはいけませんよ」
岡野が岡っ引きの鶴次郎と下っ引きの留造に忠告した。話していると女将と女中が昼飯と酒の膳を運んできた。
女将と女中が部屋を出て足音が聞えなくなると、岡野が言った。
「飯を食ったら、大伝馬町の自身番へ戻りますよ」
「では、酒は飲まずにいます」
「ここは居酒屋です。酒を飲まずして、探りをかけられません。
飲んでも、与力を気にしなくていいですよ。さあ、飯を食いましょう。
慌てなくていいですよ」
慌てても何もならぬ。二人の香具師が、両国橋西詰めの事件を誰かに知らせた。おそらく日本橋を塒にしている香具師だろう。岡野はそう思った。
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