四 三人の仏

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四 三人の仏

 長月(九月)五日、曇りの夕刻。  天下普請の一つとして、両国橋西詰めの通りを広小路にする作業が始まったばかりだった。日中は昼餉や休息時に、通りに面した商家の引越し作業する人々や商家を解体する人足たちが、煮売屋の屋台や棒手振りから握り飯や惣菜を買い求めていたが、夕刻になって仕事を終えると、人々は握り飯や惣菜を買い求めて両国橋西詰めの通りから去っていった。  陽が落ちて宵闇が迫るにつれて人々はいなくなり、時折、馴染み客が屋台の握り飯や惣菜を買い求めるだけになった。 「握り飯と魚をくれ」  若い二人の大工が屋台に現われた。他の屋台にも仲間らしい者たちが群がっている。皆、惣菜と握り飯を買うと屋台から去っていった。  宵五ツ半(午後九時)。  浅草御門の方から両国橋西詰めに紋付羽織袴の男三人が現われた。だいぶ酒を飲んでいるらしくふらふらしながら屋台の傍にある樽に腰を降ろした。一人の男が飯台に肘を突いて鼻をほじくりながら周りを見た。新月の夜とあって暗い。そして、屋台に客はいない。  男は鼻をほじくっていた指を飯台にこすりつけ、屋台の煮売屋を見た。 「おうっ。いつもの蛤と酒をくれっ」 「へい・・」  屋台の煮売屋は、お藤の弟の藤吉だった。  藤吉が、蛤の煮付けと酒を三人前、飯台に置いた。  その時、宵闇の中から黒ずくめの着流しの浪人が屋台に現われた。 「鰯の生姜煮と飯を頼みます」   藤吉は、竹皮に包んだ鰯の生姜煮と握り飯を屋台の飯台の隅に置いた。浪人は黙ってそれらを食っていた。  浪人が飯を食っている傍で、三人の男は蛤の煮つけを肴に酒を飲んだ。 「さあ、帰るとするか」  三人の男が酒を飲み終えた。全部で五十四文だと言う藤吉に、 「手持ちがない。いつものように付けておいてくれ」  と言ってその場を離れた。 「馳走になった」  浪人が飯を食い終えた。飯と鰯の生姜煮代の十八文を払って屋台を離れた。浪人の手には、三人が食っていた蛤を刺してあった、太い七寸ほどの竹串が三本あった。  浪人は、両国橋西詰めから通りを西の方向、浅草御門の方へ歩いた。目の前に、先ほどの男三人が千鳥足で歩いている。担い屋台で酒を飲む前にかなりの酒を飲んできたらしい。  浪人と男三人の距離が詰った。  その時、前を歩いている男たちが踵を返した。浪人に向って歩いてきた。  浪人は三人に道を譲って左脇へ逸れた。  すると一人が浪人の前に立ち塞がった。 「申し訳ない・・・」  そう言って浪人はさらに左横へ逸れ、その男に道を譲った。  しかし、男はにやけた顔で浪人の前に立ち塞がり、連れの男二人を見て二人に目配せした。それを合図に、二人が浪人の右横と背後に立った。浪人の横にいる男と背後の男がへらへら笑っている。 「俺の目の前に立って、道を塞ぐとは何事だ。  俺が水戸藩士と知ってのことかっ。  無礼討ちにしてやるっ」  男がそう言うや、三人は刀の柄に手を掛けた。  水戸徳川家家臣と名乗ることがあっても、みずからを水戸藩士と名乗る者はいない。  三人は最初から難癖つけ、私を斬る気でいた・・・。江戸市中で頻発している辻斬りはこの者たちか・・・。浪人はそう思った。  浪人の前にいる男が刀を抜こうとした。その一瞬に、浪人が男の前へ進んだ。手にしている竹串を男の目に深々と突き刺し、ふりかえりざまに、残りの竹串を右横にいる男と背後の男の目に深々と突き刺した。浪人は三人が倒れる前にその竹串を抜き取った。三人は刀の柄を握ったままその場に倒れた。一瞬の事だった。  浪人は何事もなかったように、三人の仏を避けて通りを西へ歩いた。  担い屋台にいる藤吉は心の内で、 『荻原様、ありがとうございます。これで頭と縁の者たちも浮かばれます』  と呟いて、他の煮売屋たちと共に、闇に消えゆく浪人を拝むように手を合わせた。そして何も無かったように、煮売屋たちと共に屋台を担いでその場を去った。  新月の今宵、両国橋西詰めの通りに人はいなかった。  両国橋西詰めの通りは狭い。火災や地震、天変地異の際は、一刻でも早く江戸市中から離れようとする人々がこの狭い通りに集まって混乱する。幕府は、非常時の混乱を避けるため、両国橋西詰めの通りを広小路に拡張し、さらに浅草御門の周囲まで拡張範囲を拡げ、和泉橋から昌平橋の北岸と、筋違橋御門の周辺の通りも拡張する計画を進めている。通りが拡張される地域は立ち退きが始まり、昼はどこも大騒ぎだが、夜になれば商家は空き家だ。
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