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って一言言った。そしてプルーン食う? って私に袋を差し出した。私は人三人分の距離をスタスタ歩いてくと、中から一個取って口に入れた。
戻りながら私は、本のしおりがわりにしていた隈取星矢の名刺を取り出した。
「……なにそれ」
って鉄が、後ろから聞く。
「私、初めてウリしてみたんだ」
鉄はまたーー今度は奈良公園のシカみたいな顔で私を見てた。なんかあの日精液をかけられた右手の手首のへんが妙にかゆかったから指先でポリポリ掻いてると、そこがだんだん赤くなってきてる。
「で、どうだった?」
さらにそう、鉄が聞いてきた。嘘、って私は答えた。そして隈取星矢の名刺をポケットに入れた。
しばらくの間、私たちはお互いに黙ってた。こないだのお礼が言いたかっただけだからさ、じゃあね、って教室に戻ろうとすると、鷺沢ってさあ、って鉄が言った。
「何?」
鉄はプルーンの袋を持って、屋上の柵に寄りかかったまま、
「例えばさ。その辺の道端とかに咲いてる花とか見て、何か感じる?」
って聞いた。私はしばらく考えると、
「別に、何にも」
って答えた。
「何も感じない」
「じゃあ、子供とかは?」
「……子供? 別に。私嫌いだもん子供」
鉄は私をチラッと見ると、
「じゃあニュースとか見ててさ。どっかの国で人が何人死にました、とか、飢えで何人病気になりました、とかは」
「全然? 何にも感じない。人が何人死のうが、そんなの別にどうだっていいんだもん」
「あとさ、おれ、飯とかももう、味とかどうでもいいんだよね」
言って、鉄はまた一つプルーンを口に入れた。
「え、じゃあそれは?」
「こんなの、ただの栄養だから食ってるだけだよ。別に何食べてもどうせもう、全部一緒なんだ。だからおれ、飯食うの嫌いなんだ」
空の向こうから吹いてくる風が冷たかった。見ると屋上に上がる階段のところで舞が、腕組みして私たちを眺めてる。
私はその舞を横目で見ながら、ふと思った。
……私たちは、本当はそうではないかもしれないのに、なぜかこうやって、強いて言ってしまっていることに、たぶんお互いに気づいている。
でも、それならいったいどうしたらいいんだろうか。
どうしたらーー私たちは本当のことをそのまんま、言えるようになるんだろうか。
右手の手首がたまらないほどかゆくって見ると、そこがもう真っ赤になっていた。それがだんだんーー何かの紋様のように見えてきた。
「……なあ、今度また痴漢していい」
って、鉄が聞いた。
じゃあ私も、って、私は答えた。
#2に続く
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