You will be quiet #1

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You will be quiet #1

       1  さっきから、男の人の鼻息が荒くなってる。    ちょっと相手を間違えたかな、と思ったけど、今さらやめるわけにもいかない。ズボンの上からでも、そのモノの大きさがわかる。  ちょっとびっくりするくらい大きい。ここまで大きい人は、そうはいなかった気がする。  大きい、ってだけで、なんか緊張するな。なんでだろう。無言の抑圧のようなものを感じるからかな。  相手は三十代前半くらいのサラリーマンで、初めて見る人だ。そこそこ清潔感があったし、年齢も若過ぎず、オジサン過ぎずでちょうどいい。考えてみれば、私の好んで痴漢する相手はーーだいたいそれくらいの年齢な気がする。  私も身長は女にしてはそこそこ高い方だけどさ、その男の人はさらに高かった。というか、全体的に大柄。着てる紺色のスーツもゆったりしてる。その膨れ上がった股間を指で撫でさすりながらチラッと見上げてみると、男の人は目をつぶって、半分口を開けて気持ち良さそうにしてた。短く刈り上げた髪がワックスでホームセンターで売ってるタワシみたいにセットされてて、それが窓から入る風にも微動だにせず光ってる。  今日の人はそんな感じに、目をつぶって恍惚としてくれてるからいいんだけどさ。たまにそうやって見上げたときに、ピタッと視線が合うことがあるんだよね。あれけっこう気まずい、っていうか。向こうの視線の「圧」が重い、っていうか。だからすぐ自分から視線をそらすんだけどさ、それでもジーッと見つめてくるときは、そこでもう全部やめちゃうときある。  なんで男の人って、私たち女をこう、ジーッと見つめてくるんだろうか。  あとはまあ、たまにだけど向こうが私の着てる制服の中に手を入れてくる、ってこともある。そのときの、ゾッとする気分ったらない。マジで世界がハンブン凍りついたような、そんな気分になるから、やめてください、って言ってそれきりにすることにしてる。一度そんなときに「なんだよ、触ってきたのお前の方だろ?」とかって大声で言われたことあるけど、「女の方からそんなことするわけないだろ!」ってすぐ回りから横やりが入ってくれて、それでなんとかことなきをえた。その人はすぐにその男性に取りおさえられて、次の駅で駅員さんに引き渡されてったけど。  今朝の渋谷行きの東横線は、マジで混み具合がハンパない。だから、心おきなくいろんなことができる。  あ、ていうか男の人が、私の首筋のあたりに顔を近づけてきた。やっぱ鼻息超荒いんだけど。なんかちょっと怖いな。え、何この匂いーーなんかミントみたいな? あれか、ブレスケアみたいなの? てことは営業とか、そういう仕事やってる人なのかな。  でもだいたいまあ、このあたりまでとーー私のヤル気は急速に萎えてくる。今回は、わりと早い方だ。ていうか、その萎えるまでの間隔が、どんどん早くなってきてる、そんな気がするんだけど。えっと今どこだっけーーあ、自由が丘だ。始めた頃はさ、こんな風になるまでに電車降りる直前くらいまでかかってたけど、それが今じゃ自由が丘。私、家は武蔵小杉なんだけどさ、今後もし都内に入る前とかにこんなんなってたらヤバいよね。マジヤバいと思う。  男の人は左手で吊り革を持って、右手でカバンを持ってた。で両足を開きぎみにして立ってるんだけど、なんかちょっと震えてる感じ? するのね。もう一度見上げてみたら、ヨダレを垂らさんばかりの顔してる。それで私はいじくってた手を離すと、吊り革を持ってた手と入れかえて知らんぷりした。途端に男の人が、えっ、て顔をして、 「どうしたの?」  そう言った。  どうしたの? だって。バカみたい。  私は何も答えなかった。そして男の人に背を向けた。ちょうど目の前の電車の扉にその人が映りこんでいて、なんか信じがたい、みたいな、そんな顔してる。  すると急にドン、って音をたてて、背を向けた私に向かって壁ドンしてきた。扉のガラス見ると、妙に想いのこもった目でこっちを見てる。  ちょうどそのとき、目の前の扉が開いた。夢中で壁ドンしたその人は、気がついてなくてそのせいでガクッ、ってズッコけるみたいになった。私はそのスキにスルリとくぐり抜けると、ホームに駆けおりた。他の乗客も続いて次々とおりてくる。  軽くホッとしつつ、同じ高校の生徒と歩調を合わせて改札に向かっていると、 「……サギ!」  って声が、後ろから聞こえた。あ、これ私のあだ名ね。私名字、鷺沢(さぎさわ)って言うからさ。どうぞよろしく。 「ちょっとあんたーー(ここからは小声で)もしかしてまたやった?」  声をかけてきたのは舞だった。マズいところを見っかった。さっきの男の人は、もうどこにも姿は見えない。舞がしきりに、私のかわりとばかりに周囲をきょろきょろ見回してる。 「っていうかあんたさあ……早くスマホ持ちなよ? 連絡取ろうにも取れないじゃん。何度も言うけど今どきあんたくらいだよ? 東京中の高校生でスマホ持ってないなんてさ」  確かに、私は生まれてこのかた、スマホなんて持ったことない。うちの親の方針って言うのか、特にお父さんの? てか別に、私も欲しいともなんとも思わないから、そのまんまにしてるんだ。 「ほんとあんたは一人にしとくと何するかわかんないんだから」 「なんか舞、お母さんみたいだね」  私はふたたび舞と一緒に歩き出しながらそう言った。同じ制服を着た、同じ高校の生徒と同じ方向に向かってゾロゾロと歩いていくそばから、実は自分はそれと全く逆のことをしたい、と心から思ってる。でもそのことは、舞には決して言えない。 「……であんた、白状しなさいよ。やってたんでしょ? 今朝も。チカン」
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