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プロローグ
須田は病棟での回診中、廊下の向こうで患者と立ち話をしている若い医師にちらりと目をやった。
ドラマの世界から出てきたような、見るからに優男という出で立ち。甘いマスクの男を前にして、小柄な老人は落ち着いた外見に似合わない黄色い声を上げている。
「退院日に先生に会えるなんてほんとラッキーだったわぁ! 私がもっと若かったら先生に手術してもらえたのかと思うと、なんだか悔しいわねぇ」
「お母さん!」
五十歳を越えているであろう娘が、母親の肩を叩いて諫めている。
看護師から受け取った検査結果を確認しながら病室に入った須田は、目の前の患者に「リハビリも順調ですねぇ~」なんて声をかけながら、意識を半分、廊下の会話へ向けていた。
『林さんがこれから長く生活を続けられるのが一番ですから。僕の手ではなくても、適切な治療にお繋ぎできて良かったと思ってますよ』
声からすると、彼は柔らかな笑顔を浮かべ、対する彼女は年柄もなくぽおっと頬を染めていることだろう。娘が盛大な溜め息をついたのが聞こえる。
『ったく、はじめに先生にお話を伺った日から首ったけで。気楽っていうかなんていうか……先生も、無自覚なのはわかりますけど、あんまり患者を魅了しないでください』
冗談とも言いきれない厳しい声色に、彼は苦笑した様子だ。
『褒め言葉と受け取っておきます。とにかく、林さん、本当にご自愛ください。検査は定期的に、しっかり受けてくださいね』
須田が次の病室に移る時には、娘はまだ話したりなさそうな母親を、半ば引きずるようにして去るところだった。
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