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プロローグ
気がつくと、ぼんやりとした表情をして僕は海辺に立っていた。
生まれたての赤子がこの世界に降り立った直後の様に、開けた視界に目を細める。
頭上に広がる青天井がとても眩しく、散らばった雲は海風に拐われる様に流されていたから、僕は今、夏に立っているんだなと思った。
活き活きとした夏だった。
しかし、何故だか体は景色に反して自由には動かせなかった。髪でさえ風に靡かなかったから、その景色、感覚の異質さに疑問を持つ。
「それにしても」
綺麗な青空。自分が透けてしまった様に感じる程、頭上に広がる青空は畏怖さえ覚えるくらいに、深い。
そしてぼんやりと暫く空を見つめていると、足先に冷たい波が当たり、膝下まで水滴が跳ねたのを感じた。意識が唐突に陸に引き戻されたので、すこしびくりと僕も跳ねる。
僕は梶井基次郎著『Kの昇天』中の『或いは溺死』に当たる場面を想起する。
きっと彼も同じ様に海に
───否、月に昇っていったのだろう。
頭の中に鮮明にあの美しい文体が思い出される。あの小説にも、確か「十一時四十七分が月の南中する時刻」と書かれていたなぁ。
月へと昇り、そして溺死していくあのKを包み込む月夜を連想する。
すると、不思議なことに。
さっきまでの青天井は一瞬にして月の光る夜空へと変化してしまった。
そこに時間経過は無く、違和感の正体に気付いた僕はやっと「この景色は現実では無い、これはきっと僕の深層意識、思考の根底…僕は今夢を見ているのか」と気がついた。
「半覚醒」とも呼べるこの状態に到達した僕は「ならば、この夢を我が儘に操作する事もできるのではないか?」と浅ましく思った。
夢の中で、夢だと気が付けたのは初めてだ。と
───憶えても亡いのにそう思ったからだ。
僕は思考を巡らせようと瞳を閉じる。
「見たい景色、欲しているもの。」
ジークムント・フロイトが行った自由連想法をする様に、思考の根底を漁る。
アリス・キニアンやハロルド・ニーマーがチャーリィ・ゴードンに実践させたあのシーンを思い出して、見様見真似で1人熱心に取り組む。
無論、動機は不純である。
思考の世界は真っ暗闇。
“原色”と断定出来る程の漆黒の世界が脳内に広がる。
手探りで進まないと、あっという間に自分を見失ってしまう。
欠陥だらけの黒とは思えない、もはや穴であった。
もがいて、もがいている内に息が苦しくなる。
肺に“黒”が入り込んで、侵されていくような感覚が僕を蝕んでいく。
水を含まない、チューブから出したばかりのインクの様に重く、吐き出したいと思う。
どんなに思考を掻き分けても、未だ闇。
その連続に息が苦しくなる。
ふと、その景色に一筋の光が差し込んだ。
ゆらりゆらり、青白い斜光が
それはまるで
───『月光』みたいに漆黒を穿つ。
ぶはぁっ、と耐えきれずに息を吐き出す。
空気は塊になって空へ昇っていく。
次いでやってくるボコボコと耳に何かが入り込む感覚、体が宙に拘束される様な感覚に驚き、重い瞼を開けると
そこは、海の中であった。
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