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下校した。
俺は自宅にカバンを置くと、エレベーターで二階降りて、同じマンションの中にあるみふゆの家に向かった。
合鍵を使った。
ノックをしたり、チャイムを鳴らしたりはしなかった。
その家には今みふゆしかいないし、みふゆがそういうものに反応しないことはわかっていたからだ。
みふゆの母親で、うちの母の大学時代の同級生、みすずさんが仕事で帰りが遅くなる時は、みふゆのことを見ているよう頼まれている。
特別何かをするわけではない。
みふゆは話し相手を必要としないし、特に刺激されないかぎり危険な行動をとることもない。
「ただいま」と言ってドアを開ける。
もちろんみふゆは返事をしない。こちらを振り返ることもない。
額がつくような距離でPCのモニターに向き合い、機関銃のような勢いでキーボードを叩き続けている。
その反応のなさはつまり、帰ってきたのが俺だと理解している証拠だ。
たとえば、まあ在りえないことだが、全くの他人が部屋に入ってきたら、みふゆは石化したように硬直する。知ってはいるが慣れていない人だったら、鼻先に右手の拳を掲げ、首を回しながらそれを見つめ続ける、という行動をとる。
きっとそれは、いつも変わらないもので視界をふさぐことでリラックスしようとする、みふゆなりの儀式なのだと思う。
硬直にしろ、首回しにしろ、部屋から人が出ていくまで、みふゆは何時間でもそれを続ける。
もし、その親しくない誰かが彼女の体に触れたら。
そのときは何か、予測不能の激しい反応が起こる。
みすずさんが恐れているのはそれだ。
そうした不測の事態を二度と起こさないために、俺はこの家の合鍵を持たされている。
みふゆはちょっと特別な子。
みすずさんはそう言う。
そんな言い方はひどいごまかしで、現実逃避だ。
みふゆの妹のみはるは辛辣にそう言う。
客観的事実を言うなら、みふゆは自閉症といくつかの知的障害を持っている。
養護学校に転入する小学校四年までは、俺とおなじクラスだった。
俺ははっきり覚えているが、九歳くらいまでのみふゆは、不器用ながらも会話ができたし、周囲とコミュニケーションする意思を持っていた。
四年生のとき何があったのか、俺は知らないし、そこに踏み込む権利もない。
俺にできるのはただ、その時その時のみふゆを受け容れ、そばにいることだけだ。
みふゆがこのまま何年も変わらなくても、あるいは、取り返しのつかない方向に変わっていくとしても。
俺はみふゆのそばにいたいと思っている。
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