2、初登校

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 転校初日、教壇の上で紹介されて、英里はペコリと頭を下げた。  高一の十月なんてハンパな時期に転校なんて、やはりそうあることではない。教室内はザワザワした。担任に指定されたのは、急ごしらえの後ろの席だ。  英里はカバンを左右の生徒にぶつけないよう、気をつけながら机の間を進んでいった。男女ほぼ半々、心もち男子が多い生徒たちは、地味なトレーナーだったり、鮮やかなセーターだったり、思い思いの衣装を着ている。今日英里は何を着てよいやら、綿のシャツに明るいグレーのセーターを合わせてみたのだが、制服みたくなってしまった。  私服の学校に通うのは初めてだ。そのうち馴れるだろうか。  自分の前の席の生徒と目が合った。伸びかけのゆるい癖毛に、大きめの丸いメガネの奥で、いたずらっぽい目が笑っていた。英里は小さく首を傾げて挨拶した。  HRが終わり担任が出ていったあと、そいつは英里を振り返った。 「俺、木下。よろしくな、蓮見君」  屈託のない、明るい瞳がこちらを見ていた。英里は驚いた。 「あ……、こちらこそ」  英里がそう答えると、教室の空気がザワッと震えた。  クラス中の人間が取り囲むように英里を見て、口々に質問攻めにする。 「蓮見君って、東京から来たの?」 「うん」 「北海道は初めて?」 「ううん……小さい頃に何度か」 「住むのは初めて?」 「うん、そう」 「いつこっちに?」 「えっと……、昨日の昼に着いた」 「あー、昨日は雨降って、寒かったよね。イキナリの寒さで、びっくりした?」 「まあね、気温調べてたんだけど、やっぱり……うん」  ぎこちなく答える英里に、何人かの女子がキャアッと喜んだ。  そうして英里が質問攻めにされていると一時間目の教師が入ってきた。  英里は慌てて時間割を見る。木下が「国語だよ」と教えてくれた。  木下は何くれとなく世話を焼いてくれた。空き時間にあれこれ訊かれて英里はくたびれてしまったが、その様子を見ていた木下は、 「そろそろ質問タイム終わり!」 と割って入ってくれた。  昼は木下とその友人たちと弁当を囲み、教室移動では案内してもらった。木下はひと懐っこい子犬のようだ。転校初日は何ごともなく平穏に過ぎた。 「蓮見君、部活とかやんの?」 「え……」  帰り支度を始めた英里に、木下が訊いた。 「とくに考えてない。……多分、やらないよ」 「前の学校では何かやってた? スポーツとか」  帰りのHRが終わり、生徒たちはガタガタと席を立ち始める。この学校では掃除は昼休みに行うので、終業後は帰るか、部活に出るか、もう教室に用はない。 「何も。僕、どんくさいから体育系はとくにダメ」 「ふーん、そんな風に見えないけどなあ。じゃ、中学んときは?」  英里は首を振った。 「何も。ずっと帰宅部」 「ずっと?」 「うん。あ、中学に入って弓道部に入ったんだけど」 「弓道!?」  英里の返事に、木下が目を輝かせる。 「……道場の床が冷たすぎてすぐ辞めた」 「なるほど」  素っ気ない英里の答えに、木下はうなずいて面白そうに笑った。  手足のひょろっとした木下は、クラスの中でも比較的地味で、数人の友人たちとのびり過ごす、穏やかな人間だった。リーダーシップを発揮するタイプではない。こんなヤツと緩くつるめば、卒業まで無事に乗り切れそうだと英里は計算した。ここで問題を起こす訳にはいかないのだ。  木下が戸口の方に何か見つけた。英里も釣られて木下の視線の先に目を向ける。 「あ、永井さん。どーしたんすか一年の教室に」 「よぉ、木下」  友彦が、そこにいた。  キュッと、英里の胸の奥が鳴る。  友彦は英里のところへ真っ直ぐにやってきた。 「まだ道分かんないだろ? 一緒に帰ろ」 「……うん」  英里の頬が熱くなる。  木下が驚いた。 「ええ? 蓮見って、永井先輩の関係者なの?」 「あぁ、うん……」  口籠もる英里に代わって、友彦が説明した。 「俺の従弟だよ。ウチに下宿してんだ」 「えぇえ……マジすか」  驚いている木下に、友彦は「お前は部活だろ、早く行けよ」と促した。 「どっか寄りたいとこある? 足りないものとか、買っていくか」  やっぱり友彦は優しい。英里はカバンを肩にかけ立ち上がった。 「ううん、帰るよ」 「よし、じゃ行こう。じゃな木下」  英里を連れて教室を出る友彦の背に、木下は声をかけた。 「永井さん、部にもまた顔出してくださいよ。新しい試薬買いましたから」  友彦は「おー」と手だけ挙げて答えた。
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