2、初登校

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「友兄の部活って、何部?」 「ああ、化学部」  帰り道、慣れない英里のために、友彦はゆっくり歩いてくれる。  銀杏並木の黄色い葉っぱの隙間から、秋の薄い陽が射す。 「へえ、木下君は化学部の後輩?」 「そう。あいつ、いいヤツだよ。面白いし。……あいつと一緒のクラスになったんだな」  生徒玄関を出るとき、英里は靴箱を探してキョロキョロしてしまった。友彦は笑って、 「一年D組の靴箱は、こっち」 と連れていってくれた。 「あ、ありがと」  恥ずかしい。  英里は小さく礼を言って、そそくさと靴を履きかえた。  思い出すと、頬が熱くなる。  スーパーとホームセンターとドラッグストアが並ぶ幹線道路から住宅街に入ると、似たような建物が続く。ところどころに大邸宅のような広い敷地の家がどーんと現れ、少し進むとこぢんまりとした木造アパートがちょいちょい顔を出す。道は毎回九十度の角度で交差し、近道がない代わりに迷うこともなさそうだ。  東京と違うのは、塀のない家があること。  開放感がいかにも北海道らしいけれども、防犯的に問題はないのだろうか。 「朝も思ったんだけど」 「ん?」  斜め前を歩く友彦の肩に、英里は言った。 「学校、すごい近いね」  友彦は愉快そうに振り返った。 「そうか?」 「徒歩十分ちょっとだなんて……」  英里がこの間まで在籍していた高校は、自宅から公共の交通機関で片道八十五分、乗り換えは二回だった。あまりに遠くて――ということにして――、学校の近くの部屋を借りてもらったのだが、そこにしたところで電車でひと駅、徒歩で二十分近くかかっていた。東京が過密都市なのは確かだが、札幌だって百万以上の人間が密度低く広がって住んでいるのではないか。 「ああ」  友彦は楽しそうに笑った。その横顔が、夕陽に赤く照る。英里はそこから目が離せなくなる。 「俺、自宅からの距離だけで、今の高校選んだからな」  そういうものなのだろうか。そこそこの進学校のような気がするが。 「あと、私服だってのもよかった。制服なんて学ランでもネクタイでも、窮屈で嫌だからな」  友彦は襟許に指を入れて、ベーと舌を出した。  制服でも襟の楽なデザインはある。英里の通った小学校はセーラー服で、襟は別に苦しくなかった。だが確かに、高校生男子の制服にセーラーはない。 「英里だって」 「え?」  友彦が英里の瞳をのぞき込んだ。 「『進学のため』に引っ越してきたんじゃないの? 俺んとこが、通学や進学に、便利だったんだろ?」 (進学のため――)  英里は下を向いた。  嘘をつくのは慣れている。  英里は何を言われても平気だと思っていた。何をどう思われても、何を聞かれても、平気で嘘を貫き通すことができると。そしてそれは簡単なことだと。  なのに――。 「……そうなんだ」  英里はがんばって口を開き、自分の鼻を拳でこすった。声が鼻にかかってしまうのを隠そうとして。急ごしらえの設定を思い出して続けた。 「東京はさ、ひとの住むとこじゃないよ。あんなとこじゃ勉強なんて」  咽の奥がギュッと痛んだ。もう、これ以上、声を出せない。  そのとき。  英里の髪を、温かい何かがふわりと撫でた。  友彦の、指だ。 「ごめん」  友彦はそっと指をすべらせ言った。いたわるような、優しい声だった。 「何か……あったんだよな。俺、訊かないから。そのうち、英里が聞いて欲しくなったらそのとき言って。別にずっと言わなくてもいいし」  英里の動揺を落ち着かせようとしてくれる。  本当に、今度こそ本当に、英里は泣きそうになった。
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