1、北へ

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 田畑も原野も終わり、外は街になっていた。  降りる駅には従兄が迎えに来ているはずだった。  昔はよく一緒に遊んだという、ふたつ歳上の従兄だ。  幼い頃に数度会っただけの従兄は、もう顔も思い出せない。  雨が小止みになってきた。列車は速度を弛めた。  ホームに、ぱらぱらとひとが立っていた。どんより暗い秋の午後、高架のホームはグレーの濃淡にしか見えない。  ゆっくりと通過していくホームの景色。  ひとりだけ、くっきりその輪郭が見えた青年があった。英里はハッとしてその姿を目で追った。  すぐ車窓に消えたその青年は、ポケットに両手を入れ、若い細身の骨格を寒さに軽く前屈みにして、入ってくる列車をじっと眺めていた。落ち着いたオレンジの上着にジーンズ。  取り立てて美形ではないが、穏やかな表情に好感が持てた。  あのひとだったら、いいのに。  そう思った瞬間、英里は口の端を上げた。  懲りない自分を嗤った。その性癖のせいで、こんなところまで流されてきたのだろうに。  英里はひとり暮らしの部屋を、この春進学した高校の近くに与えられていた。自宅からの通学に一ヶ月で音を上げて親にねだったからだが、自由を与えられてすることは決まっていた。冒険は週末からほぼ毎日と頻度を上げ、学校を欠席することも増えた。学校から親に連絡が行くのも時間の問題だった。  列車が止まった。  英里は網棚から荷物を下ろした。  つい見とれて目で追ってしまったさっきの青年。きっと英里の「タイプ」なのだろう。どうせ一緒に暮らすなら、好みの男の方がいい。  好み? 好みのタイプと毎日一緒に暮らすなんてまずい。  しっかりしろと心の中で自分を叱り、英里は荷物を肩に背負った。  今度何かやらかしてしまったら、もう英里には行くところなんてない。  まあ、英里が心配しなくても、世の中そんなに都合よくできてはいないものだ。英里の視線を奪った彼と、一緒に住めるなんてことある訳がない。  列車を降りると、ホームを吹き抜ける冷たい風にビュッと頬をなぶられた。英里は肩を丸めた。  さて、覚えていない従兄を探さなくてはならない。ここで出会えないと行く先までの道が分からないのだ。  そのとき。 「エリちゃん」  背後から声がした。ホームに他にひとはいない。 「エリちゃん、だよね」  ひと違いと言おうと振り返った英里は息を呑んだ。 「俺だよ、友彦だよ。覚えてる?」  穏やかで優しい声。 (――嘘)  これは。  これはまずい。  さっきの青年が笑っていた。  英里は返事もできずただ彼を見上げていた。 「すぐ分かったよ。久しぶり。会いたかった」  友彦は軽やかな動きで、英里の手から荷物を取り上げた。指が触れた。  「忘れちゃったかな。ははは、あの頃はまだ小さかったからな」  友彦は軽々と荷物を肩にかけた。 「さあ、行こう。案内するよ」  友彦は階段を下っていく。英里は自分の指を頬に当てた。  熱かった。  熱いのは頬か、指か。  英里は友彦の上着のオレンジを見失わないように歩いた。  その背を追いさえすればいい。甘いような怖いような思いで胸が鳴った。
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