第一章 5

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 扇風機の羽音がやたらガタガタやかましいことに今になって気づいた。壊れかけた羽根だ、そして埃まみれだ。長い紐のような埃が風の流れに乗ってはたはたと揺れている。今さらながらこの部屋の蒸し暑さにも気づいた。首筋を汗が流れていた。ゆうべの涼しさは何だったのか、それは夜だったからか。 「今日はランプアイの水槽の水換えの日なの」  えなが壁に掛けてあるホワイトボードを指差す。丸っこい変な字だ。えなの字だろう。水槽管理の日程が事細かに書き込まれている。 「あたしがいるから全部の水槽がちゃんと管理できてるんだよ。これだけの量をこいつ一人で管理できるわけないからね」  彼女、という単語が脳裏に浮かぶのは当たり前であった。篤史の同級生にも女子と交際している者がちらほらいた。しかしながら彼らは作ったような、もしくは媚びたような笑みで互いを見つめ合い、声音まで普段とは違った。そこには非日常なるものがあって、ここには日常そのものが存在した。であるからきっと違うのだ、えなは彼女ではない。もっと近い、何かだ。その証拠にえなは崢の了承も得ず冷蔵庫を開けて中を物色し始めた。ねー、なんか食べよー、などと言いながら。  冷凍室から取り出されたものは二本のアイスで、そのうちの一本を、はい、とえなは篤史に渡し、残り一本を手にベッドに向かった。崢は寝そべったまま目だけ動かしてえなの手のアイスを見やる。起きな、とえなが言うと崢は彼女に向かって両手を伸ばして、おんぶ、などと言い、結果、ばぁか、とあしらわれることとなった。はは、と崢が笑う。  あまりにも近いのだ。崢に背を向けベッドに座ってアイスを食べ始めたえな、その背中を崢は寝そべったまま指でつつくも無視された為かついに起き上がり、俺にもちょうだい、と声をかけた。彼女の耳元に口を寄せて。まさにゆうべ、篤史に対してしたように。いい匂いがする。そう、篤史の耳に言葉を寄せたのと同じように。
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