第一章 5

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 まさに崢が入り込んでくるのである。女になったことはないし自分はえなでもないからその感覚は分からないが、崢の身体の一部が入り込んでくる、そんな妙なことを思った。崢が体内に入ってきて篤史を操作するのだ、それほどまでに球が走った。 「覚えがいいな。さすがだ」  耳元で崢が笑う。  きっとこの感覚はえなには得られない。崢から与えられるこの感覚はきっと自分だけのものである。そして篤史の右腕からネットに向かって放たれる球はまさに崢との合作で、生み出される子供そのもののように思えた。  カーブの握りくらい知っていた。兄に隠れて握り方を覚えた。しかしながら崢が篤史に教えた握りは篤史が我流で覚えた握りとは少し違った。肘の引き具合も投げおろす角度も、また。 「そうだ、いい調子だ」  崢の手のひらがたびたび篤史の後ろに回ってきて頭や肩のあたりを撫でる。  これまでにも誰かに投げ方を教えたことがありそうだと思った。後輩に教えてきたのだろう、自分もそうだった。しかしながら篤史は後輩から陰で囁かれたことがある、西山先輩は指導者には向いてないタイプだよな、と。つまるところ教え方が下手だったのだ、というより非常に面倒見が悪い、その自覚があった。その対極にいるのが兄であり、崢もまたそうであることを知った。兄と崢はきっと同じ部類なのだ、対象を褒めて伸ばそうとするところもまた。  であるから崢も兄から褒められて育ったわけか。分からぬがともかく篤史は心地が良くて、カーブを一球生み出したのちにはまた次の一球を生み出したくてたまらなくなった。それは次々に生み出された。次の日もその次の日も、そのまた次の日も。次第に精度が上がり、よく曲がった。やがて崢がかつてのチームメイトであるキャッチャーを呼ぶようになって崢との合作は彼のミットを唸らせるようになり、彼自身をも吠えさせることとなった。ナイスボール、と。 「うん、いい球だ」  崢も言った。キャッチャーの後ろに立ち、ゆるく笑って。
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