そのとき、私の中で幼い自分が泣いた

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そのとき、私の中で幼い自分が泣いた

甥っ子がおいしそうにごはんを食べる。 私の義理の弟、つまり甥っ子の父親で妹の夫が、スプーンですくって甥の小さな口に入れた。 甥っ子は私にとっても可愛い存在だ。 それなのに。 私は何も食べないまま、席を立ってリビングに向かった。 誰か心配してくれないかな。 そんな気持ちでいたが、あとで聞くと「たぶんいつも飲んでる薬の副作用だろう」とみんなが思っていたらしい。 私は虚しく、わいわいと甥っ子を中心に盛り上がるダイニングを背に、リビングでぼうっとしていた。 気づいてほしかった。 私は、甥っ子になりたかった。 1歳で実父と離れ離れになった私に、甥っ子のように父親に甘えた記憶はない。 誰も気づかないので私は2階の自室に行った。 先に母には言っていた。 「育児とか子どもの話とか、自分の意志で子どもを産まないって決めていても、けっこうきついねん。だからそういう話になりそうなら2階の自分の部屋に行くわ」 私の夫は海外に単身赴任中で、実家にいるしかないし、甥っ子は甥っ子で可愛かったので、私なりに自衛したつもりだった。 だから、こんなに苦しくなるなんて思っていなかった。 深夜まで自分の部屋で私は泣いていて、それでも誰も気づかないのが悔しくて、泣き声が子どものようになる。 私はちっちゃな子どもになりたかった。 赤ちゃんの時から父親のいる、幼児になって人生をやり直したかった。 夫は海外からビデオ電話でつないで、私の話を聞いてくれた。 愛着障害で、アダルトチルドレンだと医師に言われたことがある。 夫も特徴を調べていた。そうかもしれないとうなずいた。 夫には両親から愛された記憶があり、保育園に預けられても夕方になれば母親が迎えに来て、自分と妹につきっきりでやさしくしてくれたそうだ。 1歳で離婚した私の母は、夜遅くまで私を保育園に預けるしかなくて、時々閉園時間を過ぎてしまうので、そんな時は友だちのユキちゃんのうちに預けられた。 物心がついたころ、ユキちゃんの家に大人の男の人がいるのを知った。 あれは、だれだろう。 「お父さんやで。仕事から帰ってきてん」 ユキちゃんのお母さんがそんなことを言った気がする。 お父さん。 うちにはいない、お父さん。 当時は離婚家庭も少なく、専業主婦も多かったので、みんながみんな保育園に子どもを預けるわけではなかった。 ユキちゃんが珍しい存在で、ユキちゃんと同じくらい仲の良かったマイちゃんもシングルマザーの家庭で育った。 ぜんぶ、あとから聞いたことだが、シングルマザーの家庭が多かったので、私は母親しかいないのが当たり前の家族構成だと思っていた。 母親が私を保育園に送る時、私は泣きわめいていたらしい。 そんな私を背に母は仕事に向かった。 仕方のないことだ。 母が働かなければ幼い私は生きていけないのだから。 それでも、私は今も、誰かといっしょにいるときも寂しい。 潜在的な寂しさがいつも付きまとうのはなぜかと考えた時に、思い当たるのは幼少期のことだった。 自分の息子である、甥っ子を可愛がる義理の弟を見て、私の心の中にいる、幼い私は「いやだ」と泣き叫んだ。 私も甥っ子のような幼少期を送りたかったのに。 深夜、泣き続ける私の周りに、母と私が6歳のときに母と再婚した養父、妹ふたりが来た。 「あくらは愛着障害じゃない。愛をかけて育てたんだから」 母は自信をもって言う。養父は無関心で早く自分の部屋に戻りたそうで、ため息ばかりついている。 妹たちは「お母さんに愛してもらったの、どうしてわからへんの」と私を責める。 たしかに母は私を愛していただろう。 でも保育園でひとりぼっちになった私はまだ幼く、愛情よりも寂しさのほうが強く心に残ったのだ。 若いころは恋愛に執着して、今はワーカホリックになり、何かに依存していなければ生きられない大人になったと感じている。 愛着障害は、子どもを産みたがる人が少ないという。 母、養父、妹たち。 生まれてからずっと両親がいる。父親の不在を感じたことがない人たちだ。 妹たちが「私らは子ども欲しいけど、お姉ちゃんはいらないかもしれないね。虐待しそうやし」と言ったことがあった。 あのときは笑ったが、妹たちは愛を感じて育ったから、子どもがいることを当たり前のように感じていたのだろう。 私と違って。 「ちょっと私とあくらは距離おいたほうがいいかもね」 母が言った。 「そうやね」 いつも母の味方をする、上の妹が言った。 でもそれは逃避であり、問題の解決とは異なるような気がした。 私は泣いていて混乱していたが、家族が去った後、夫がビデオ通話で私の話を聞いてくれた。 中立的な立場で見てもらえるように、親子カウンセリングの案内を母と妹に送ったが、無視された。 今も気まずい状態のまま、部屋にこもる。 私はきっと家族の目に悪魔のように見えているだろう。 穏やかな生活に水を差す、悪魔。 私は睡眠誘導剤を飲んで必死で寝た。 寂しさがぐるぐると周り、夫の「いつでも電話をかけてきていいから」というメッセージで落ち着く。 仕事をして、気を紛らわせるために寝なければ。 無理やり目を閉じると、体罰を受けた幼稚園時代、そしていじめと体罰で苦しめられた小学生時代が襲ってきた。 私はいろいろな記憶に封をして、もう気にしていないふりをして生きてきたのだ。
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