死神の副業①

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死神の副業①

 物静かな雰囲気ながらかいがいしく立ち働いている娘を、ミリセントは横目でちらりと見やった。なかなかの器量よし。男性客には評判がいいだろう。グッドバッドは、どこでこんな掘り出しものを見つけたのか?  白いエプロンを着けた娘は、今、ローラースタンドの取っ手をぐるぐる回して、使い終わったばかりの書割(かきわり)をローラーに巻き取っている。  スタンドには五本のローラーが左右に渡してあり、それぞれに異なる背景用の書割が巻かれて収納されている。梅に鶯の田園風景、遠くにフジヤマを望む海浜、石灯籠と太鼓橋を配した和風庭園、灌木と大小の水盤を配した西洋風庭園、サムライの和室(床の間とかいう意味不明のスペースに、違い棚とかいう装飾棚のある和室は、きっとサムライの部屋よ、ハラキリの場所なんだわ)。  ついさっき、ミリセントは西洋風庭園を背景に、これもスタジオの演出用小物であるロココ風のベンチに腰掛け、蛇腹式のカメラに向かってポーズをとった。夫が船室に飾るポートレートがもう一点欲しいというのだ。夫は昨日、上海へ発った。横浜~上海という短い航路では、長いお別れになりようがない。夫はうんざりするほどちょくちょく帰ってくる!  片づけを終えた娘がスタジオから奥へ消えたのを見届けてから、ミリセントは口を開いた。 「次はサムライの和室ね」 「キモノを着るというなら、貸衣装代をいただくよ。別料金なものでね」  ゴードン・ホリデイは、商売道具のカメラを大事そうに壁際へ運んだ。慎重な手つきで、棚の三段目に戻している。幾台かの別の機種が、上段と下段に並ぶ。 「キモノは結構よ。このドレスのままで。ドレスと畳。アンバランスなほうが面白いわ。テリーを畳の上に四つん這いにさせて、あたしが彼の背中にちょこんと座るのよ。そして、にっこり。どう?」  ホリデイは、ロココ風ベンチの手前に作業用の丸椅子を引き寄せ、腰をおろした。 「良いご趣味をお持ちで」 「悪趣味なものじゃないと、意味ないのよ。そういう写真が、ちょっとしたお使いをしてくれるの」 「強請(ゆす)りは楽しいかい?」 「人聞きの悪いこと言わないでちょうだい。手紙を送っただけよ。Love lettersよ。愛してるわ、って書き添えたんですもの」  Love letters――あなたとあたくしとの秘密を主人が知ってしまいましたの、とも書いたのだが。主人が、この国での訴訟手続きについて尋ねるために、イギリス公使館へ出向きましたの、とも書いた。ミリセントは大いに楽しんで、嘘八百を美しい筆記体で綴ったのだった。 「きみの餌食になるとは輝長も運が悪すぎたねぇ。かわいそうに」  死神の(すみれ)色の瞳が(形容の難しい、ちょっと不思議な菫色だ)きらりと光る。かわいそうにと言いつつ、哀れな人間への同情など持ち合わせるはずもなく、ミリセントの()()()()のおこぼれにあずかろうと、期待しているようすだ。  エプロン姿の娘が茶器の盆を運んできた。 「ここへ貰おう」  ホリデイが盆ごと受け取る。 「ごくろうさん。今日はもういいよ」  娘はミリセントとホリデイ、両方にきちんとお辞儀をし、「お先に失礼いたします」と、また奥へ消えた。  パチン!  ミリセントは指を鳴らし、壁際に寄せてあったロココ風のテーブルを二人のあいだに移動させた。ホリデイが茶器の盆を置く。  ミリセントは娘が出て行った戸口を見やり、 「いい()ね。悪い虫がつかなきゃいいけど」 「登勢なら亭主持ちだ。リクショーの車夫をしてるそうな」 「あら、そうなの?」  ミリセントは首を傾げた。桃割れとかいうあの髪型は、未婚女性のものではないのか?   ホリデイはその表情を読んだのか、 「正式な夫婦になってるのかどうか、わからないけどね。どうでもいいことさ。私にはどうでもいい」 「どこで見つけたの、あの娘?」 「浅草。あの界隈の見物の途中で入った店で働いてた。ミルクホールとかいう店だ。こっちは、間抜けな小僧っこが挨拶も無しにやめてしまった直後でね。たまたま、登勢も別な働き口を探してたとこで」    死神は説明をえらく端折っているな、とミリセントは直感した。まあ今は追及せずにおこう。 「トセのおかげで大繁盛、ってとこ?」 「大繁盛とまではいかないけど、まあ、そこそこ。登勢は特に男の客に人気だけど、女性客にも好まれるようでね。お衣装はこちらもよくお似合いです、とか、立ち姿はこちらのほうがよろしいかも、てなふうにそつがなくてね。子供連れの客の扱いも上々で」 「グッドバッド写真館に女神降臨ってとこね」  死神は眉根を寄せ、 「グッドバッド。その呼び方、やめてもらいたいねぇ。ロンドン時代を思いだす。あそこじゃ、あまり運にめぐまれなかった、正直に白状するとね」  そういえば、とミリセントは思い出した。この死神はロンドンで何かのトラブルに巻き込まれたんだった。そんな噂を耳にした。 「それに、登勢は女神って柄じゃあないな。生い立ちにちょいとばかり暗い影があって」  ミリセントは吹きだした。 「『暗い影』だなんて、死神の口から聞こうとは思わなかったわ」 「幼いころ、母親が発狂して自殺したんだそうな」 「人間の発狂だの自殺だの、興味ないわ。今日の用件は何なの?」
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