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降霊会③
晩餐は六時に始まった。
ささやか、は千賀子の謙遜で、彦乃には本格的と思えるフルコースだった。
料理の品数は多く、それぞれの量は少なめで、膳のものをけっして残してはならないと教えられて育った彦乃にとって、ありがたかった。仔牛肉のパイ包みもいただいた。獣肉は、藤村の家ではけっして使われない食材なのだが(そして、それには理由があるのだが)。
ワインもすすめられたが、これは最初から遠慮してお断りした。千賀子がグラスに三杯も飲んだのには驚いた。子爵夫人も千麿氏もそれぞれ四、五杯を乾した。ミセス・ブラックウェルは底なしという感じだった。
そのミセス・ブラックウェルだが、いつのまにか、英語ではなく和語でしゃべっている。杯を重ねるごとに流暢さが増していく。彦乃は歌舞伎役者の早変わりを目にしたような思いがした。
最後にザッハトルテとコーヒーが出た。ホイップされた生クリームが添えられたチョコレートケーキは、彦乃には信じられないほどに美味しかった。ところが千賀子は、
「これ、あの本で紹介されているのと、少し違うと思いません? うちの料理人が自己流でこしらえてしまったんですわ。望月櫻醉の表現では、とても濃厚な、とありましたでしょ。これはあっさりしすぎていませんこと?」
あっさり? そうだろうか? 彦乃にはそうとは思われない。ザッハトルテをいただくのは初めてなので、これが本来の味かどうか、判断のしようもないが。
「すばらしいお味ですけれど」
「いいえ。それに、この生クリーム! 甘いですわ。櫻醉の本には、添えるクリームには甘みはいっさいつけない、と書かれてありましてよ」
そういえば、と彦乃も思い出した。『美味しい戀の春夏秋冬』の作者は、確かにそのように解説している。
「ホテル・ザッハのレシピは門外不出とか」
子爵夫人がナプキンで口元をおさえた。
「ウィーンでのお味を再現するのは容易ではございませんわね。お客さまがたには、お粗末なものを差し上げてしまいました。おゆるしくださいませね。瓶詰の生姜の砂糖漬けがございますわ。イギリスからの輸入ものの。アレグザンドリーナ女王の好物の一つだったとか。それでお口直しをなさってはいががでございましょう?」
給仕役の家職の一人が、早くも奥へ引っ込んでいき、人数分のかわいらしい銘々皿に載せた砂糖菓子を運んできた。
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