降霊会④

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降霊会④

 晩餐のあと、千賀子が彦乃を図書室へ案内し、他の三人は談話室へ移動した。  そのとき、桃割れ髪の若い女性が一室から現れ――幾部屋もあるので、それぞれの扉の奥にどのような部屋があるのか、彦乃には見当もつかない――ミセス・ブラックウェルの後についていった。子爵家の小間使いではなさそうだった。子爵夫人や千賀子のそばに控えている女性たちとは、髪型も衣装もちがう。  図書室は、螺旋階段でつながる中二階のある天井の高い部屋だった。壁はすべて蔵書で埋まっている。書籍が広げて納められているガラスケースも四台置かれている。ひとつに近づいて覗くと、花や果実の細密な版画集だった。 「彦乃さん、どの書架もご自由にご覧になって。ちょっと失礼いたしますわね」  あちらの用意が、と言いながら、千賀子がそばを離れた。  彦乃は展示されているほかの書籍を見て回った。どれも美しい植物画だった。季節によって飾る書籍を入れ替えるのだろうか、などと思っていると――    ふと、背後に人の気配を感じた。振り返る。  ついさっき見かけた桃割れ髪の女性が、彦乃が振り向くのと同時に、踵を返して図書室を出ていった。  あの人……いつ図書室に入ってきたのかしら?  そんな疑問をどこかへ押しやるように、ある感覚が襲ってくる。彦乃は全身が粟立つのを感じた。  誰か、いた。あの人の背後に。  鼓動が速まってくる。  千賀子が戻ってきた。 「あちらへまいりましょう。面白い催しが始まりますの」         ◇  室内の照明は、中央に置かれた丸いテーブルの上の蝋燭のみ。フランス窓は閉まっている。閉めたのは千賀子で、「風で蝋燭が消えたりしては意味がありませんわ。条件を整えておきませんと、霊が降りてきたかどうか確かめにくくなりますもの」などと心配していた。この遊びにかなり熱中しているようだ。  テーブルを囲んで、窓を背にしたミリセントの右側に子爵夫人。次男の千麿は、霊媒師の左側に座を占めるようだが、今は母親の椅子のそばに立っている。登勢は、隅のアルコーヴの前に、畏まったようすで控えている。  ひとつ、いる。登勢の背後に。  ミリセントは察知したが、息を吹きかけるのはやめておいた。無用の異変をひきおこすことなく、ひっそりとどこかへ立ち去る亡霊もいれば、息を吹きかけられただけでうろたえてしまい、右往左往する手合いもいるのだ。生きている人間たちを震えあがらせるような現象が起きないともかぎらない。室内に小さなつむじ風が起きて花瓶や額縁が床に落下する。場の空気が氷のごとくに冷たいものとなる。戦慄のあまり、心臓麻痺とやらで死ぬ人間も出る。そんな事態が生じては面倒だ。 「お待たせいたしました、ミセス・ブラックウェル」  千賀子が藤村彦乃を連れてきた。  にこやかな表情の千麿が、母親の右側の席を手で示す。 「藤村さん、どうぞこちらへ」 「これから降霊会が始まりますのよ」  どこか浮き浮きした調子で千賀子が言う。 「霊魂――スピリットを招き寄せる試みですわ」  部屋に一歩入ったところで、彦乃は棒立ちになっている。 「どうなさって?」  千賀子は親友のほうを見た。 「いえ……」 「霊魂を遠ざけてはなりませんわ。人間はいつか死ぬ存在ですけれど、死後、人間に語りかけることができなくなるなんて、あまりにもさびしいとはお思いになりません? 生きている者が死者に手をさしのべるべきだとは、お思いになりません?」  にわかに千賀子の声の調子が変わった。さながら、自分で自分に催眠術をかけたかのごとくに、妙に落ち着いたものになっている。  彦乃の顔に困惑の色が広がっていくのを、ミリセントは見てとった。困惑がしだいに恐怖へと変じていくのもわかる。 「藤村さん、おかけくださいな」  子爵夫人が上品なアルトの声で誘う。 「ミセス・ブラックウェルは、たいそうなご評判の専門家でいらっしゃいますのよ。霊媒師でいらっしゃいますの。この機会を逃すのは惜しゅうございましてよ。さあ、あたくしの隣に」  子爵夫人のお勧めとあっては、十代の小娘はありがたく受けるほかないだろう。ミリセントは彦乃を見つめた。薄暗い室内でも、顔から血の気が引いているのがわかる。この娘もすでに察知しているのかもしれない。登勢の背後に何者かがいることを。  藤村彦乃は、顔をこわばらせたまま子爵夫人の右隣りの椅子に腰かけた。千麿が部屋を横切り、ミリセントの左側に座る。千賀子が扉を閉め、彦乃と千麿のあいだに落ち着いた。  ミリセントは用意しておいた最初の台詞を口にした。 「では、皆さん。よろしいですか? 両手をテーブルに載せてください。掌を下に。指はそろえて」  もったいぶって、間をおいてから、 「呼吸は静かに。ゆっくりと。心のなかを無にするのです。雑念を追い払うのです。耳を澄ませるのです」
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