降霊会⑤

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降霊会⑤

 いつのまにか、ひとつの同じテーブルを囲んでいるはずの千賀子とほかの三人が見えなくなった。今、彦乃は、暗く冷たい空間に取り残されている。一人の死者とともに。    死者は髪を島田髷に結いあげた女性だった。ひどく痩せていて、頬は削げ、寂しげな目をしている。凄絶な美しさがあった。 『……あなたも……なのですね……かわいそうに……わかりますよ……わたくしには』  この人、誰かに似ている。誰かしら?  ――こんなふうに観察してはだめ!   彦乃は自分に言い聞かせたが、うまくいかなかった。見てはいけない相手に視線がくぎづけになり、どうしても()らすことができない。 『だれにもうちあけてはならぬと……おしえられましたが……くるしゅうて……』  細い声は消え入りそうで、彦乃の耳は、聞き逃すまいと、逆に鋭敏になった。 『くるしゅうて……あのひとにだけ……あのひとにだけは……うちあけたのです……やさしいひとでした……そういうひとだったのです……あにうえたちには……うけいれては……いただけませなんだ……』  何を言っているの? 何を伝えようとしているの?  ――だめ! 聞いてはならない。深追いしてはならない。そんなことをすれば、連れていかれてしまう。お祖母さまはそう戒めていらした。  彦乃はすでに自分の身体感覚を失っている。両足が床を踏んでいる感覚がない。両腕もどこにあるかわからない。左手は子爵夫人に、右手は千賀子に触れているはずなのに。  それでいて、ひどく冷たい何かに全身が浸っている、という感覚があった。その何かは、ねっとりと重く、下へ下へと彦乃をひきずっていくかのようだった。  お祖母さま、助けて! 助けてください!  彦乃は鼻も口もふさがれた気がした。呼吸ができない。全身が凍るように冷たい。  堪忍してください。どうかもう堪忍して……お願いです……連れていかないで……           ◇  フランス窓のガラスがぴしぴしと音をたてる。  足元の空気がゆっくりと渦を巻きはじめる。  ぐらりと藤村彦乃の上体が前へのめった。子爵夫人、千麿、千賀子の三人は、どういうわけか眠りにおちている。  しばらく様子をみよう。藤村彦乃を観察しなくちゃ。それをしないでは、今日ここへ来た意味がないじゃない。――そうミリセントは考えた。    登勢はアルコーヴの前の床に(くずお)れている。ミリセントは、アルコーヴめがけて、ふーっと息を吹きかけた。  地味なキモノを着た痩せた女が佇んでいる。顔も手もキモノをまとった体全体も、やや青みがかった乳白色を帯びながらも、ほとんど透明だった。女の背後のアルコーヴが透けて見える。  と、異変が起きた。  女のそばへ若い娘の魂が引き寄せられていく。藤村彦乃の魂が。  魔の者であっても、死神族でなければ死霊を滅することはできない。一時的に追い払えるだけだ。死神のあの大鎌がなければ、死者の魂の回収はできない。  パチン!  ミリセントは指を鳴らして「追い払い」の術を放った。  何も起きない。  どういうこと?  彦乃の魂は女の懐に抱かれそうになっている。テーブルに突っ伏している彦乃は、今やただの抜け殻となっている。  ミリセントはもう一度指を鳴らした。  何の変化もない。  まずい! まずいわ! 「彦乃、戻りなさい」  魔女はささやき声で命じた。  が、何の威力も発揮されない。  痩せ細った女の幽霊が彦乃を、その魂を、抱きしめている。 「死にぞこないは消えろ! ここを立ち去れ!」  窓ガラスが騒がしいばかりに鳴り、室内の空気がさらに渦を巻くばかりだった。 「Oh, no! No! Get out of here! 」  動転しながらも、ミリセントは自分の髪を一本引き抜いた。毛根と毛先を重ね、テーブルの上で指先で撚りあわせる。魔の者どうしの連絡方法のひとつである。連絡をつけたい魔の仲間の顔を思い浮かべながら、言葉を胸のうちで念じる。 『サイモン、すぐ来て! ちょっと事故が――彦乃が ――とにかく、すぐ来てちょうだい!』 『彦乃? 何だ? 何が起きた?』  ミリセントよりはるかに上級の(悔しいが、認めざるをえない)悪魔が応答する。   同時に、ホールで人声がした。 「これはこれは、堂本さま。お手数をおかけして」  家令の声だった。  ドウモトさま?   ミリセントは、はっとした。 「酔ってなんかいな~い。堂本~、飲みなおしていけ~」 「花扇、おい、どこへ行く?」  今の、穂波の声では?   ミリセントは、いよいよ慌てた。
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