魔の者二人②

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魔の者二人②

 しゅたっ!   ドレスの美女は床に舞い降りた。カウチから帽子を拾いあげると、片目をつぶってみせた。 「楽しゅうございました。お礼に、ひとつ教えてあげましょうか。今日ね、あのお庭に半端者(はんぱもの)も来てたのよ」  半端者。魔の者たちの世界では、死神をそう呼ぶ。 「まさか……!」  斎門は唸った。あの美しい和風庭園で薄汚い奴を見かけた覚えがなかった。死神族は、魔の者たちにだけ感知される独特の臭気を放つ。 「何も臭わなかったぞ、俺には」  嗅覚が衰えてきたのか? 観察力が鈍ってきたのか? 老化が始まるなど、まだ何千年も先のはずだが。  ミリセントはドレスの胸元のレース飾りにちょっと手をやって、 「素性隠しの香水をわけてあげたのよ、あたしが」 「また余計なことを!」  斎門はスコッチのソーダ割りをあおった。 「この世界、持ちつ持たれつよ。いい加減に調合した香水ですもの、半日も経てば効果が消えて、すぐに悪臭ふんぷんよ」 「で、どんな奴なんだ?」 「何に化けてるか、ってこと?」 「ああ」 「写真師よ。ホリデイ写真館て看板掲げて、横浜で商売を始めて、今じゃ新橋にも支店を構えてるわ。ちっぽけな店だけど」     斎門はあれこれ考えた。  死神がうろうろすると何かとやっかいではある。  といって、斎門やミリセントの敵ではない。所詮、死神なのだ。追放処分を受けた哀れな半端者どもなのだ。  それにしても、と斎門はここ数十年を振り返る。  この小さな島国が、鎖国という奇妙な――賢い選択だったのかもしれないが――政策に終止符を打ち、新時代を「明綸(めいりん)」と号して開国してからというもの、海の彼方からありとあらゆる災いのもとが入りこんできた。(やまい)と、異境からの魔の者たちである。  ミリセントも新参者たちの一人だった。この地へやってくる以前に棲息していたのはロンドンだという。 「そいつの名前は?」 「だから、ホリデイよ。ここじゃ、ゴードン・ホリデイとか名乗ってるわ。グッドバッド・ホリデイって呼んでたんだけど、あたしたち。ロンドンでの話よ」 「そいつもロンドンから来たのか? ロンドンなら最高の魔窟だろうが。あっちでじゅうぶんに楽しめるだろうに。なぜ遠い極東までやってくるんだ。まったく、どいつもこいつも」  またも、ふふっ、と笑うと、ミリセントは帽子を被った。器用な手つきでおくれ毛を中に包みいれる。ひさしに巻きあげてあったチュールのヴェールで顔を隠す。レースの手袋をはめる。上品かつ(あで)やかな貴婦人の一丁上がりである。 「新世界の魅力よ。それに、ロシュラントのおかげで、ここら辺のキナ臭さときたら……堪らないわぁ」 「キナ臭い、か。確かに」  ユーラシア大陸の東西に広がるロシュラント帝国。インド洋と太平洋、二つの大洋への出口を確保すべく膨張を始め、その運動を加速させている。南下。東進。どこまでも突き進むつもりらしい。東の端に、この大和帝国が位置する。  ロシュラントがこの国を呑み込む?  ばかな! そんなことをさせるものか! 「ここ何十年もイギリスの国力ばかりが安定しちゃって、ドーヴァーを挟んだ東と西、あの辺り、ばかみたいに平和なのよ。フランスなんて、もうどっち向いていいかわからないようだし。ロシュラントにおべっか使い過ぎてもうまくない、でもイギリスに足元見られたくない。そんなこんなで平和外交の大流行よ。当分、大陸の西のほうじゃ殺戮は望めそうにないわ。つまんないったらありゃしない。――あら、あたし、パラソルをどこへ置いたんだったかしら?」  パチン!   斎門は指を鳴らした。ミリセントを早く追い出したいばかりに、つい、エネルギーの無駄遣いをしてしまった。  しゅっ!  小ぶりのパラソルが玄関ホールから飛んできて、空中の一点で止まる。レースの手袋に包まれた繊細な片手が伸び、それを受け取る。 「Merci!」      ◇  居間の箱時計(グランドファザーズ)が六時を告げる。ミリセントはとっくにどこかへ消えていた。  大英帝国の繁栄を築きあげたアレグザンドリーナ女王。女王が崩じたのがこの年、一九〇一年の一月のことだった。今、女王の長子であるアルバート七世が王位に就いている。  同盟。  斎門は胸のうちでつぶやいた。  同盟締結が鍵なのだ。必ず成功させなくてはならない。大和帝国とロシュラント帝国との激突が避けられないことが明白になりつつある今、列強の一つ、いや世界最強国の大英帝国を巻きこむ必要がある。
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