第一話 白粉屋の人

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第一話 白粉屋の人

 晴れた日の朝。  俺は白粉屋(おしろいや)と書かれた看板の下で、朝から大きな伸びをした。 「おう、陸斗(りくと)! 朝から精が出んな!」  隣の宿屋の主人が、早めに旅に出た宿泊客を見送った後に、俺にそう話しかけて来た。 「おう。まだちぃと眠ぃんだけどなァ」 「なぁに、俺もそうだ。さっきの客、兎の刻に出るって聞かなくてよ、そのおかげで、カミさんも俺も、住み込みの仲居達も寝不足気味だ」 「そうだな。昨日遅くまで騒いでた客もいただろ」  俺がそう言うと、宿屋の主人はコクリと頷き、また大きな伸びをした。 「まぁ、今日は休みだ。もう一眠りするわ」  宿屋の主人はそう言って、宿屋の中へと入って行った。 「ふぅあぁ、今日も一日頑張るか」  宿屋の前で伸びをすると「旦那! これ一つお願い!」と、朝から威勢の良い声が聞こえて来た。 「これですね。ありがとうございます!二十五文です」  俺はそう言って、客が出した四文銭五枚と五文銭一枚を受け取り、品物である白粉を渡した。 「今日は、芝居でも?」 「そう。今話題の義賊様のね」  客はそう言って、浮き足立って芝居小屋へと向かって行った。 「今話題の義賊様ね」  深く息を吐きながら、いつか異国の妖が置いて行った背を預けることの出来る椅子に凭れかかり、俺は目を閉じた。  義賊、深月(みつき)。  ここ最近、黒い噂のある貴族や金持ちの家に入り、その家がギリギリ生きていけるだけの金を残し、あとは全て貧しい者達にばらまいてしまう、貧しい人にとっては、心優しい義賊様。  その話は落語家に役者など様々な人の耳に入り、義賊様の話が出始めてから一月もしないうちに芝居に本に、様々な物になった。  何やら義賊様に恋心を抱いた女性もいるらしい。  顔も見てないのに、絵を見ただけで格好良いと騒ぎ立てるのだから、人の心とは移ろい易いものだ。 「旦那。白粉を二十頼むよ」  突如、馴染みの客である(りょう)の声が聞こえた。 「はいよ。また鯉津乃(りつの)にでもやるのかぃ?」 「あぁ。お前さんの店の白粉は評判でね、鯉津乃から『もし良かったら遊女全員に差し入れてやってくれ』って言われてね」 「ハッ、好かれる男は良いねぇ。こっちは誰も靡いてくれねぇってのによ」  ブスリとした顔をそのまま、俺は亮から顔を逸らす。 「なぁに、お前さんも全部悪ぃって訳じゃねぇんだ。いつか恋心を嫌という程向けられる日が来るさ」  その言葉を聞きながら、俺は在庫の取ってある奥の座敷へと移動した。  白粉二十って。その遊里(ゆうり)どんだけ人いんだよ。  二十個の白粉を風呂敷に包んでやり、俺はそれを亮に渡した。 「はい、二十個丁度な。五百文」  亮は銭五百文と書かれた紙を一枚、ピラリと取り出す。 「ありがと。あぁ!」  亮はわざと風呂敷を落とした。  俺はそれを拾って、下に着いた砂を払ってやり、またそれを亮に渡した。 「悪ぃな」  亮はそう言って風呂敷を受け取った。  カサ。  小さく折りたたんだ紙片が、俺の左手に当たった。 「だ、深月(みつき)」  亮は俺の近付いてもう一つの名を呼んだ。 「あぁ。わかった」  俺は紙片を受け取って、妖しい笑みを浮かべた。  俺は「店主体調不良のため一時座敷にいます。御用があればお声がけ下さい」と書かれた紙を店の一番目につく所に貼り付けて、奥に引っ込んだ。  紙にサラサラと予告状の文面を書き、俺はそれを亮に渡した。 「ほらよ」 「ん。ありがとな」  亮は髪を開いて文面を見る。   本日の戌の刻、桜原(おうはら)の家の財宝を頂きに参る。   深月(みつき)。 「あぁ、わかった」  亮は文面を読んでからそう言うと「腹壊すなよ!」とわざとデカい声で叫んでから、桜原の家の方向に姿を消して行った。 「余計なお世話じゃ! バァーカ!」  俺はそう叫びながらなんとなくスッキリした表情で亮を見送った。  今日は昼までの営業にしとこう。  夕方からがあるからな。 「あぁ〜! 今日は忙しいぞ!」  俺は本日何度目かの伸びをしながらそう叫んだ。
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