二年三組の鬼

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 昨日は、鬼に追いかけられる夢を見て眠れなかった。  今朝、演劇部の顧問に鬼の面と部室の管理について聞いた。鬼の面は確かに、去年の文化祭で使ったものだった。でも道具類は部室ではなく、校庭脇に並ぶ倉庫の一つにまとめて片付けられているらしい。鍵は単純な、四桁の番号さえ知っていれば誰でも開けられるワイヤーロックだった。  顧問に聞いた四桁の数字を合わせて倉庫を開き、中へ足を踏み入れる。顧問が言うには、面はみんな入口付近の壁にかけてあるらしい。そのとおり、壁には十種類ほどの面がかけられていた。ほかの面は、うさぎや犬。暗闇で見れば一緒だろうが、今は怖くないものばかりだ。でも、わざと鬼の面を選んだのではないかもしれない。  一つだけ空いていたフックは、入り口に一番近い場所にある。そして探した倉庫の照明スイッチは、反対側の分かりにくい場所にあった。  「誰か」は入ってすぐ、外のあかりだけを頼りにすぐそばにある面を取って、倉庫を出たのかもしれない。「わざと鬼の面を選んだ」のではなく「たまたま鬼の面だった」のではないだろうか。  もうしそうなら、安川の言った「度が過ぎたいたずら」ではなくなる。驚かせるのではなく、顔を隠すのが目的だ。でもそれなら余計、解決を急がなくてはならない。誰かが、おそらくは耀司に何かしようとたくらんでいるのだ。  焦る胸をなだめつつ倉庫を出て、再び鍵をかける。 「おーい、小夜(さよ)ちゃん何してんのー?」  聞き慣れた声に振り向くと、校庭を突っ切ってくる耀司が見えた。  長袖シャツをだらしなく着崩して、両手をズボンのポケットに突っ込んでいる。身体測定をサボったから数値は分からないが、十四歳にしては背が高く、ひょろりと薄っぺらい体型だ。まくりあげたそでから伸びた白く細い腕は、とてもけんかに勝てそうには見えない。 「神原くん、今、放課後なんだけど」 「五時までに来れば出席セーフっつったじゃん」  言われて確かめた校庭の時計は、四時五十五分を差していた。 「とりあえず、教室に行くよ。補習するから」 「えーマジ? だりぃよー」  耀司は眉をひそめ、だるそうに頭を左右に倒す。 「来週から期末テストだよ。サボったり中間より悪かったら、また茶の湯で(おのれ)に向き合ってもらう約束でしょ」 「やだよ、正座したくねえ。大体、勝手に茶道部に入れてんのひどくね?」  歩き出した私に文句を返しながらも、ちゃんとついて来る。叱りとばして脅かして、それで言うことを聞くならとっくに変わっているだろう。変われない子は、もうその言葉が届かないほど心を閉じているのだ。開けろと殴っても、扉は開かない。 「内申書の部活欄が埋められるでしょ。少しでも良くしとかないとね」 「もう小夜ちゃんだけだよな、俺の高校進学あきらめてないの」  耀司の声が、もう何も望んでいないように聞こえて視線を落とす。  私の兄も、中学生の頃に荒れ狂った。親や周りに理解してもらえない怒りでさんざん暴れ、最後には、無気力になった。あれから十五年、今も自分の部屋から出てこない。 「あきらめたくないの」  長く伸び始めた二つの影につぶやき、テラスのドアから教室へ戻る。二年三組は、倉庫から一番近い教室だった。 「そうだ。今日、掃除の時間に何個か机が倒れたの。神原くんの机も倒れてたから、念のためになくなったものがないか見てくれない?」  補習を始めてしばらく、気づいたふりで切り出す。耀司は貸し出した教科書をめくる手を止め、素直に机の中をのぞき込んだ。 「大丈夫だろ。元からなんも入れてねえし」  盗んだのではないのなら、やっぱり何かしようとしていたのか。  耀司は孤立しがちだから、目に見えて衝突する相手は少ない。それでも、あんなひきょうなまねをするような。  そう考えて、ふと気づく。私には「隠れて耀司に危害を加えそうな生徒」の心当たりが、まるでなかった。だれもそんなことはしないと信じている、私に問題があるのか。そんなことはないと、信じたいだけなのか。 「小夜ちゃん、なんか今日、疲れてね?」  首をかしげて私を眺める耀司に、口元をさする指先を止めた。気づいたのは優しさか、それとも。 「昨日、鬼に追いかけられる夢を見てね」 「マジかよ、ガキみてえ」  ふき出し、鼻にしわを寄せて明るく笑う姿に後ろめたさは見えない。消えた本人説にほっとして、私も笑った。
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