二年三組の鬼

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二年三組の鬼

「私、教師になったらこれしなきゃいけないって、忘れてたんですよねえ」 「『夜の学校はこわいので戸締まりはしません』は、通じないもんな」  ためいきをつく私に、となりを歩く安川(やすかわ)は笑う。ジャージの腕が太くてゴツい、体育教師だ。夜の学校どころか、幽霊すらこわくなさそうに見える。  一方の私は小さくて気弱な国語教師で、子どもの頃から暗いところとこわいものが苦手だ。夜の学校は、どうがんばっても好きにはなれない。 「じゃあ、僕は二階を見て回るんで」 「お願いします。私は、このまま奥を見て来ますね」  階段前で安川と別れ、私はそのまま一階の奥へと向かった。  うちの中学は、生徒数約九百人の大きな学校だ。一階は校長室や職員室のほか、家庭科室や技術室、一年生と二年一組から三組までのクラスがある。今年の一年生は少なくて五組までしかないが、二年生と三年生は九組まで設置された。  安川は二年八組、私は三組の担任だ。安川はベテラン教師だが私は教師二年目のひよっこで、一人前にはほど遠い。それなのに、今年の二年生には特にやんちゃな子が多い。七月にあった林間学校は爆竹騒ぎやけんかで、引率した教師全員、全く眠れなかった。  二年二組までの戸締まりを確認し、一番奥にある三組の、後ろのドアに手をかける。ふと、窓の向こうで何かが動いたような気がした。  何?  目をこらしてのぞき込んだ時、静まり返った薄暗い教室の中で、何かがこちらを向く。校庭のあかりにぼんやりと照らされた顔は、長い角と牙を持った、鬼だった。  びくりとした私を、鬼は暗がりの中からじっと見つめる。見開かれた目が、怪しく光った気がした。鳥肌が立ち、汗が浮かぶ。 「……き、きゃああ!」  悲鳴を上げて、力が抜けたように座り込む。逃げ出したいのに、あまりのこわさに体が動かない。今、今ドアを開けられたら、私はもう。だれか、だれか助けて。 「太田(おおた)先生!」  聞こえた声に視線を向けると、走って来る安川が見えた。悲鳴を聞いて、下りてきてくれたのだろう。 「どうした!」 「きょ、教室の中に、中に鬼が!」  鬼? と安川は聞き返しながら、勇ましく目の前のドアを開ける。思わず後ずさった私とは反対に、安川はずかずかと中へ乗り込んで行った。  大丈夫、だろうか。  まだ起こせない体をどうにか動かし、ドアの向こうをのぞく。いると思っていた安川の姿がなくて、血の気が引いた。テラスにつながるドアが大きく開かれ、あかりが教室の中へ長く伸びている。どうしよう、まさか鬼に。  泣きそうになった時、テラスの方で物音がする。窓の向こうに見えた安川の姿に、ほっとした。 「鬼じゃなくて、多分生徒だよ」  サンダルの底を払いながら教室へ入った安川は、教室のあかりをつける。すみずみまで明るく照らされた教室は、いつもの二年三組だった。 「これ、校舎の角を曲がったところに捨ててあった」  ほら、と手に持っていたものを差し出し、被っていた黒い布を下ろす。出てきたのは、私が見たものとよく似た鬼の面だった。屋台で売られているような安っぽいものではない、眉間や肌のしわまで表現された立派なものだ。手に取って見ても、ぞっとする。 「お面、だったんですね。すごくリアル……」 「演劇部の小道具だろう。にしても、ちょっといたずらの度が過ぎるな。また神原(かんばら)だろ」  顔をしかめた安川に、あ、と気づく。神原耀司(ようじ)はうちのクラスの「特別やんちゃな男子」で、けんかをしたり授業をサボったり、屋上の鍵をこじ開けて魚を焼いて食べたりしている。確かにすごく手はかかる子だ。でも、こんな性質(たち)の悪いいたずらをするだろうか。 「それは、どうでしょうか。すみません、私はここを締めたら三階に上がります」 「ああ。僕も二階をすませたら三階に行くよ」  安川は私に鬼の面を渡し、一足先に教室を出る。いかめしい鬼の面にはぐるりと、長く黒い布が縫いつけられていた。確かに去年、文化祭で演劇部が鬼の出てくる劇をしていた気がする。  一息つき、まっすぐに並んでいない机の列に苦笑する。面を置いて、疲れた体で机を整えていく。そういえば、確か鬼はこの辺にいた。ドアの窓から見て視線が合うのは、一番後ろから二番目のこの辺だ。  つかんだばかりの荒れた机を、じっと見下ろす。彫刻刀でおおかみの絵が彫られたここは、耀司の席だ。まさか、誰かがいやがらせを。  気になってのぞき込んだ机の中はがらんとして、ノートすらなかった。念のために確かめたプリント類も、提出期限が過ぎていることを除けば、問題はなかった。本人が何かを取りに来たのだろうか。わざわざ、鬼の面をつけて?  誰かが、机の中にあったものを盗んだのかもしれない。それなら、今見つからないのは当たり前だ。明日、それとなく聞こう。学校に来たら、だけど。  夜の校庭に鬼が闇の中へ消えていく姿を一瞬想像して震え、急いで全てに鍵をかけた。
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