センセイの最適解

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 小学校でセンセイに最適解をもらうことに慣れた児童たちは、卒業後はモバイルセンセイに最適解を求めるようになっていった。その成果なのか、生産年齢層が激減し、国際的競争力が落ちていた日本は、再び世界のトップに肩を並べるまでに返り咲いた。  図面通りの精密な仕事、時間通りの正確な仕事、日本の評価はますます高まり、海外の企業が日本に工場を構えることも増えていった。  がむしゃらに働き、国が豊かになるのではなく、効率よく働き最大限の結果を生み出すことで、かつて働きアリと揶揄された日本人のワークスタイルはすでに過去の遺物となっていた。  日本政府は、「反対や否定的な意見もたくさんあったが、結果が全てだ。我々の日本は再び世界のトップに躍り出たのだ」と息を巻いた。  さらに10年後、政財界もセンセイ世代が中心となっていた。より効率的に国が潤うようにと、さまざまな法案が国会で可決されていった。どの法案も確かに国益を考えれば否定できないものであったが、一部の少数派や高齢者には相当な負担を強いるものであった。
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