1 俺たちの関係

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1 俺たちの関係

「ねぇ、一度でいいから相手してくれない?」 「んー? 君もしつこいねぇ」 「絶対二回は誘わないからさ。ね?」  待ち合わせのバーに着くと、カウンターに座っている冬磨(とうま)が今日もまたネコと思われる男に誘われていた。  見慣れた光景でも見ているのがつらい。  でも、それは嫉妬ではなく同情だ。 「また無駄なことしてる奴がいる」  そばのボックス席からそんな声が聞こえてきた。 「あー。冬磨は無理だってわかってるだろうになー?」 「よっぽど自信あるんだろ。そんな顔してる」 「よし、誰がなぐさめる?」  そして、じゃんけんを始める男たち。  これも何度も見た光景。 「ね、冬磨。たまにはさ、他の人も食べたくなんない? 同じ人ばっかりじゃ飽きるじゃん?」 「んー。別に飽きねぇな」 「えー?」  あのネコが自分に見える。  何度も何度も想像した。俺が冬磨に断られるシーンを。  あのネコと俺の違いはなんだったんだろう。  なんで俺は冬磨に選ばれたんだろう。  未だに信じられなくて、だから余計にこの続きを見るのがつらい。  冬磨は、その神々しい美貌に誰もが目を奪われる存在。  歳はたぶん俺よりは上。それしか知らない。  身長は一八〇を優に超え、端正な彫りの深い顔につり目がちの瞳は一見クール見える。でも、ふわふわとした猫っ毛の黒髪が柔らかい印象を与えていた。そして、彼の優しい笑顔には人を惹きつける魅力が宿っている。冬磨の笑顔に出会った人は、一瞬で彼に魅了され虜になる。  でも、冬磨はここで新しい相手を求めてはいない。今は充分すぎるほどに相手がいるからだ。  冬磨に声をかける前に立ち止まり、深呼吸をする。  俺は今からビッチ(・・・)を演じる。  ビッチ天音(あまね)、ビッチ天音。何度もくり返し自分に言い聞かせ、足を踏み出した。 「冬磨」  近づいて声をかけると、冬磨はグラスから口を離して俺を振り返った。  美しく丸い氷がグラスの中でカランと音を奏でる。  冬磨は今日もスーツがビシッと決まっている。仕事帰りのはずなのに、疲れた様子はどこにも見られない。スーツを着る仕事であること以外はなにも知らない。お互いに詮索しない。 「天音」  隣のネコに辟易(へきえき)していたんだろう。冬磨は俺の存在を確認すると、どこかホッとしたように微笑んだ。 「行こ?」 「ああ」  冬磨はすぐに腰を上げ、隣のネコに「じゃあな」と告げた。 「ちょっとっ。いま俺が誘ってるんだから邪魔しないでよっ」  俺に向かって牙をむくようにわめくネコに、冬磨が冷たくたしなめる。 「俺が約束してた相手だ。邪魔してるのは君のほうだろ」  彼はその言葉にカッとしたように目をむいて、今度は冬磨にも攻撃し始めた。 「新しいセフレは作らないって言っといてコイツは作ったじゃんっ。なんでっ?! だったら俺だって一回くらいいいだろっ?」  俺には彼の気持ちが痛いほどわかる。だから言い返すのが苦しい。でも、いまの俺はビッチ天音だ。なにか言わなくちゃ。どう言い返せばいいかと考え込んでいると、先に冬磨が言い放った。 「こいつは俺を好きじゃないからな。俺はそういうのしか相手にしないんだ」  きっと彼もそれは知っていただろう。だから『二回は誘わない』と言ったんだ。あれは彼なりの必死なアピールだった。  彼の泣きそうな顔を見て、俺まで泣きそうになる。  でも、俺はビッチ天音を演じなければならない。ぐっと涙をこらえ必死で無表情を装った。 「待ち合わせの店変える?」  店を出て歩きながら冬磨に問いかけた。  さっきの彼はもう誘わないとは思うけれど、会えば気まずいだろう。そう思っての提案だった。  言ってしまってから気がつく。冬磨があの店で待ち合わせをするのは俺だけじゃなかった……。   「いや。どこ行ったってどうせ同じことのくり返しだろ」  と、冬磨は苦笑する。  はぁ……こんなの冬磨にしか言えないセリフだな……。  冬磨の苦笑にすらときめいて、すぐにハッとする。  いまはビッチ天音だ。忘れるなっ。 「俺はどこでもモテますって? うーわ鳥肌っ」 「まぁ、事実だしな? だからほんと、天音みたいに楽なやつ、貴重」  ズキッと胸が痛んだけれど、気付かないふりをする。 「……だろ? つっても冬磨にはそんなのいっぱいいるじゃん」 「いや? 天音はその中でも特別」 「は? なんで」  冬磨の口から特別なんて言われるとは思いもしなくて、心臓が飛び出そうになった。  冬磨は少し身をかがめ、頭一つ分は小さい俺の耳元にささやいた。 「楽な関係なのに、天音みたいにベッドでは超可愛いやつ、マジで貴重」 「……なんだそれ」  ははっと笑って冷や汗が出る。  やっぱり慣れてないってバレてる……?  いや、そんなわけない。  他にセフレがいることは信じてるみたいだし、後ろは念入りにひとりで広げてる。  今でもゲイビでいろいろ勉強してる。  そもそもバレてたらとっくに切られてるだろ。  だから大丈夫。大丈夫だ。  冬磨とは、まだ終わらない。  まだ。もう少し。もう少しだけ。  少しでも長くそばにいたい……。  
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