53 一生分の幸せ

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53 一生分の幸せ

 敦司から、スーツを用意しておくと返事が来て、俺たちは敦司の家に向かった。もちろん手はずっと繋いだまま。  途中でシャッターの下りたケーキ屋が目に入って、思わず「あ……」と声が漏れた。   「今度買っておくな? すげぇ美味かったよ、ここのプリン」 「た、食べたの……?」 「食べたよ。せっかくお前が買ってきてくれたんだ。そりゃ食うさ」    俺が投げつけたプリン。きっと中はぐちゃぐちゃだったはず。それでも食べてくれたんだ。   「俺、大好きなんだ。ここのプリン」 「もっと教えて。お前の好きなもの」 「冬磨のポトフ! すごい美味しかった! また食べたいっ!」    冬磨がふわっと嬉しそうに笑った。   「あれさ。本当は作りすぎたんじゃなくて、お前と一緒に食うつもりで作ったんだ」 「え、……えっ?」    だってあの日は急に出禁になって待ち合わせが変更になって……。   「俺がお前だけにするって宣言したら、お前が絡まれるかもなとは思ってた。だから、なんか理由つけて今度からは俺ん家でって、もともとあの日に言うつもりだったんだ」 「最初から……冬磨の家に行く予定だったの?」 「そ。待ち合わせをバーにしたのは、天音が最後にマスターに会いたいかなって思ってさ。お前、マスター好きだろ?」 「……うん。マスターには感謝しかなくて」 「……ん? 感謝?」  俺の返事が意外だったのか、冬磨が不思議そうな顔をした。 「冬磨とセフレになれたのは、マスターのおかげだから。マスターがいなかったら、きっと冬磨に選ばれなかったから……」 「……え、マスターが好きなのってそういう理由?」 「マスターは優しいし本当に好きだよ? でも、一番は感謝の気持ち」 「……なんだ、そっか」  冬磨が、今度はどこかホッとしたような顔をする。 「俺の嫉妬、また一個減ったわ」 「嫉妬……してたの?」 「するだろ、そりゃ。俺もマスターはすげぇ好きだから、嬉しいけどすげぇ複雑だった」  冬磨がマスターにまで嫉妬してたなんて嘘みたい。  俺の知らない冬磨がいっぱいで、教えてもらうたびに信じられない思いだった。  冬磨のポトフも……すごい嬉しい。 「あれ……? 一個減ったって、まだなにか嫉妬すること、あるの?」 「敦司」 「え?」 「敦司だよ。一番嫉妬してる」 「……ええ?」  敦司はただの親友だし、恋愛感情にはなり得ないし、一番嫉妬から無縁なのに……。 「なんで毎日敦司の家行ってた? そんなにダチんちに普通行くか? …………って、聞きたいけど我慢してる」  もう聞いたのに我慢してるという冬磨に思わず笑ってしまった。 「……あのね。敦司の家に毎日行ったのは、キスマークと同じ理由」  俺の言葉に、冬磨が首をひねって空間を見つめる。 「もう、好きってバレちゃいそうで怖すぎて……。敦司の家に出入りしてるところを冬磨に見せたかったの。ちゃんとセフレがいるって証拠にしたくて」 「は……?」 「一、二回見られればよかったのに……全部見られちゃった」 「え……そんな理由で毎日通ったのか?」 「……うん」  冬磨が、さすがにあきれたような顔で俺を見つめた。 「……お前、すげぇこと考えるな?」 「だっ……て。冬磨に切られるかもって思ったら不安で仕方なくて……。執着してない振りしなきゃって。冬磨に興味もないって振る舞わなきゃって……」  すると、冬磨がうなだれるように下を向いた。 「すげぇ告白されてんのに、すげぇ複雑……」 「ご、ごめんなさい。でも、もう俺たち、恋人……でしょ?」 「当たり前。恋人だ。そうだな。もう終わった話は忘れよう」 「うん。忘れてね」  俺が笑いかけると、冬磨がまた極上に微笑んだ。  冬磨の笑顔をチラチラと見上げながら歩いて、ときどき目が合って顔が火照る。そのたびに冬磨が「可愛い」とか「キスしてぇ」とか、さらに恥ずかしくなることを口にした。  ただ一緒に歩くだけなのに、心臓が何個あっても足りないよ……。 「……あ、そうだ……キャンプ」 「ん? キャンプ?」    ふと予約したキャンプ場のことを思い出して、不安に思いながら冬磨に聞いた。   「あ……の。もしかして……もうキャンセルしちゃった……?」    あのキャンプ場は毎年すごく人気だ。もしキャンセルしていれば、もう予約は無理だろう。  不安でドキドキしながら冬磨の返事を待った。   「キャンセルなんてしてねぇよ」 「ほ、本当?」  もう無理だと思っていたキャンプ。  よかったっ。冬磨とキャンプに行けるっ。冬磨とデートできるんだっ。  嬉しくて声を上げそうになった。慌ててグッとこらえてから、そうだ、もう素直に喜んでよかったんだと、はたとなった。 「キャンセルなんてするかよ」  冬磨が静かに言葉にした。 「俺一人でも行くつもりだった」 「え……っ?」 「絶対に見たくてさ。天音の天の川」    それを聞いた瞬間、ぶわっと感情があふれて、思わず繋いだ手に力がこもった。   「ん? どした? なんで……泣きそうなんだよ天音」 「とぉ……ま……」 「ん?」 「ど……しよう……」 「なに、どした?」 「す……好きすぎて……苦しい……」    冬磨は俺と終わったあとでも、一人で天の川を見に行こうとしてたんだ。  それに、また天音の天の川って言ってくれた……。  もう本当にどうしよう……。幸せすぎて死んじゃいそう……。 「お前……ほんと、ちょいちょい俺の心臓止めに来るな?」 「えっ……?」  びっくりして冬磨を見上げると、ちゅっと唇にキスを落とされた。 「…………っ」 「大丈夫、誰もいない」  とささやいて、繋いだ手をぎゅっと握り直した冬磨が、切なげに言葉をこぼした。 「俺のほうが、もっと好きすぎて苦しいよ」    言われた瞬間に涙がこぼれ落ちる。  俺……こんなに幸せで本当にいいのかな……。  一生分の幸せを、今日一日でもらい尽くしちゃったんじゃないかな……。   「もうすぐ着くぞ?」  冬磨は立ち止まって、俺の涙をハンカチで拭ってくれた。 「あり……がと……」 「そんな可愛い顔、敦司に見せんなよ」  敦司の前では何度も泣いたことあるよ、って言ったらどうなるかな。  ちょっと怖くて言えないな……と思いながら、俺は涙を落ち着かせた。  
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