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第1話 猫人、追われる
思えば、ずっとずっと劣等感を抱えていたんだと思う。
俺は人間ではなく、人間と魔物の混血である半人間――正式には半人間――の猫人であることに。
半人間の中でも特に魔物の血が強く、ほとんど魔物、猫の獣人と変わらない姿をしていることに。
パーティー「放浪者」に所属する相棒で幼馴染み、同じ孤児院育ちの親友の半人間、犬人のマヤがいつも俺をかばって、守ってくれることに。
マヤが俺より何倍も、人間らしい姿に変身する人化転身のスキルを使い慣れていて、人間を装うのが上手なことに。
いつ人化転身が解けてしまい、尻尾や耳や、魔物みたいな姿を晒してしまうのかが怖くて、フードの付いたローブと顔を隠すスカーフが手放せない俺の隣で、フードを外して堂々と姿をさらけ出しているマヤに。
炎、水、風、大地、光、闇の基本六属性だけではない、根源、結界という扱える奴の少ない魔法スキルをも習得しているのに、そのスキルレベルがどれも1よりなかなか上がらず、結果として魔法のランクで一番低い第一位階の魔法しか扱えず、魔法使いなのに器用貧乏と笑われる俺自身に。
だから。
「ビト、お前は要らねぇ。マヤを置いてとっととここから出ていきな」
アンブロシーニ帝国、西シャンドリ郡、サバーニ村。酒場「安寧の麦わら亭」で、Sランクパーティー「銀の鷲」のリーダー、シルビオ・デ・モルからそう言われた時、俺、ビト・ベルリンギエーリの胸には怒りよりも先に、あきらめがあった。
ほら、やっぱりだ。どうせ俺は、誰にとっても無価値なんだ。
だがそうは言っても、俺にだって少しばかりはプライドと根性がある。シルビオをフードの下からにらみつけて、きっぱりと言ってやった。
「断る。マヤは俺の幼馴染みで、親友で、相棒だ。奪うと言うならそれなりの理由を見せてみろ」
気丈にも言い返しながら、俺はシルビオの前に立つ。対して彼は下卑た笑みを浮かべながら、俺へと手を伸ばしてきた。
「理由だぁ……? おいおい、自分でも分かってるんだろう、そんなこと」
そんなことを言いながら、シルビオの手が俺の深く被ったフードを掴んだ。そのフードの下にあるのは、短い体毛に覆われ、鼻が短く突き出した猫のような顔をした、俺の顔だ。
「こんな『猫みたいな顔』したお前とは違って、マヤはちゃんと『ニンゲン』していられるからだよ」
「っ、さわるな!」
反射的にシルビオの手を跳ね除ける。手足の人化転身も解けてしまっていて、鋭い爪がきらめいた。猫の爪が当たって、シルビオの手の甲に数本、赤い筋が走る。
「ビト、だめ!」
シルビオの腰ぎんちゃく、「銀の鷲」のテーア・コルリとイッポリト・ドッシに腕をつかまれ、拘束されたマヤ・ベルリンギエーリが栗色の髪を揺らし、悲痛な声を俺に向かって上げた。
理由は分かる。冒険者ギルドの規定では、冒険者同士のトラブルはご法度だ。どの国のギルドでもそれは変わらない。だからこの騒動が明るみに出たら、俺はギルドから厳重に罰せられるだろう。
この状況、傍から見たら悪いのは俺だ。だからシルビオも、俺の爪に引っ掻かれてもどうせ痛くもかゆくも無いはずなのに、大げさに手を押さえて痛がってみせた。
「おー、いてえ……そんなとがった爪光らせて、人間取りつくろうったってそうはいかねえぞ、化け物」
馬鹿にするように笑いながら、シルビオが俺を見下ろした。明らかに俺を侮っている。それはそうだろう、S級冒険者のシルビオと、C級冒険者の俺。普通に考えれば歯向かうなんて考えられる実力じゃない。
だが、安全な位置からどんどんあおってくるのは見過ごせない。フードが外れたままであらわになった、俺の頭の上の片耳が一部破けた『三角耳』が震える。
猫らしい鋭い牙をむき出しながら、俺はシルビオに噛み付いた。
「化け物って言うな! 半人間は人間の中に含める、どの国でも常識だろう!」
「ビト、落ち着いて、大丈夫だから、あたし大丈夫だから!」
物理的にも噛みつきそうな勢いでわめく俺を、マヤが何とかしてなだめようと声を張る。だが、大丈夫だ、といくら言われても、マヤは二人がかりで抑え込まれている。全く大丈夫そうには見えないのが現実だ。
と、俺の両腕を「銀の鷲」の残り二人がつかんで抑える。マリオとファビオのベルルスコーニ兄弟だ。
「それはマヤみたいに、人間にちゃんと化けられるようになってから言うんだな」
「そう猫みたいにフーフー言うんじゃねぇよビト。お前、銅のタグを持ってるんなら、シルビオさん傷つけたらただじゃ済まねぇこと、知ってるだろう」
二人は強い力で俺の腕を取り、身体を床に抑えつけてくる。その動きはシルビオを守るためでもあり、俺を止めるためでもある。
ただでさえ魔法使いの俺だ。戦士と重装兵の二人には力では敵わない。身じろぎすることも出来ない。
「くっ……!」
「いいかビト、このS級冒険者、『銀翼』シルビオ・デ・モル様が特別に教えてやる」
抑え込まれて身動きのできない俺に、近付いてきたシルビオが触れた。俺のふわっとしたあごの毛に、シルビオの指が埋もれる。
「第一に、お前は弱い。いくらC級ながら全属性の魔法を……根源魔法に結界魔法まで使えるからって、そのスキルレベルは軒並み1。第一位階の魔法しか使えないんじゃ、話にならない」
シルビオの言葉に俺は奥歯を噛んだ。それを言われると言い返しようがない。
そのままあごを持ち上げながら、シルビオが笑う。その指がついと持ち上げられ、口から鼻に指先が移動した。
「第二に、お前は半人間だ。それも魔物の血が濃い、ほとんど魔物と大差のない半人間だ。人間に化けることも出来ない魔物は、人間社会で受け入れられるはずもない……そうだろ?」
次いで言われた指摘に、ますます言葉に詰まる俺だ。
確かに俺はほとんど魔物と大差のない見た目をしている。おまけに人化転身が得意ではない。その点、シルビオの言葉にも一理はある。だが俺だって転身を維持する努力はしている。全く人間らしい姿を取れないから排除される、とまで言われる筋合いはない。
と、シルビオが俺の頭をつかみ、床に押さえつけて挙句踏んだ。顎が酒場の床に押し付けられる。痛い。
「そして、第三に……」
俺の頭を踏みつけにしながら、シルビオが口角を吊り上げる。そして彼は手を伸ばしてマヤの手を掴んだ。
「同じ半人間でも、女のマヤならそっちの『使い道』があるからなぁ!! ひゃっははははは!!」
「て、めえ……!!」
その物言いに俺の縦に割れた瞳孔が、猫のように針のように細くなった。
もう我慢ならない。シルビオはマヤを手籠めにした上で、女として慰みものにするつもりだ。
魔力を練り上げる。魔法使いは杖などの補助具がなくても魔法を扱える。この距離なら、第一位階の魔法でも、それなりに威力は出るはずだ。魔法の訓練は欠かしていない、最下級の魔法だとしても威力と精度には自信がある。
だが、そこでマリオとファビオが俺の腕をねじりあげた。鋭い痛みに、集中が途切れて魔力が霧散する。
「あぐ……!」
「おっと、そこまでだビト」
「ここで魔法をぶちこんだりしたら、お前……分かってるよな?」
そのまま二人が俺の身体をロープで縛り始めた。もがこうにも二人掛かりでは手も足も出ない。たちまち、俺は両手両足を封じられてしまった。
「ビト!!」
「くそっ、離せ、離せよ!!」
「マリオ、ファビオ、その猫を村の外に放り出せ! 俺はこれからマヤに、パーティー移籍の書類を書かせないといけないからなぁ!」
シルビオがマヤの両手をつかむ。そのまま酒場のテーブルに押し倒した。彼のそばにいるテーアの手には、ギルドに提出する用のパーティー移籍申請書がある。
パーティーを離脱し、別のパーティーに移籍するには、移籍元と移籍先のパーティーのリーダーがサインした移籍申請書をギルドに提出する必要がある。「放浪者」のリーダーはマヤだから、マヤとシルビオのサインがあれば書類は作れる。
だが、こんなやり方で書類を書かせるなんて、ギルドの奴らが見たらシルビオだってタダじゃ済まないだろうに、しかし俺にはどうすることも出来ない。
「マヤ!!」
「ビト……!!」
マヤの目の端に涙が浮かぶ。そのまま、俺はマリオとファビオに担がれるようにして、酒場の外へと連行されてしまった。
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