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なんて美しいのだろう。
小学4年生の遠足行った海沿いの公園。
そこで目にしたその鳥は静かに静かにスーッと美しい円を青空に描いていた、と思ったらひらりと目の前に舞い降りたのだ。
「ねー!先生!みて!この鳥はなんていう鳥なの?」
大慌てで先生の袖口を引き、指をさして尋ねたのを覚えている。
「あぁ、とびじゃないかしら?」
おでこに手をやり目を細めて空を見ていた先生は私の指さす方向をみてそう答えてくれた。
すべてが流れるようで無駄がない動き。私は言葉なくただその鳥を見つめた。
学校に戻るとその足で図書室に向かい私がとびについて調べたことは言うまでもない。
そこそこ田舎のこの町では海沿いの公園だけでなくともみられそうな場所がたくさんあると知ると、出かけた先々で私はとびを見つけては眺めてうっとりしたものだ。
とびが何かを見つけてそこへ舞い降りるさまは何度見てもハッと息をのむほど美しい。
年を重ねて大学で上京し、そのまま都内の会社に就職して早数年。帰郷もままならない私はとび、どころか空飛ぶ雀にさえも気持ちをやれない日が続いている。
今、私の心を支えるのは毎週水曜日のノー残業デーに食べると決めているちいさなちいさなパティスリーの週替わりのケーキだ。
「週刊ケーキ曜日」と題したこのケーキは味も形も一度として同じものが出てきたことがないのだが派手な飾りはあまりない。静かに美しい研ぎ澄まされた美しい見た目、そしてそれを裏切らない味がする。
いつものケーキ曜日。今日はどんなケーキが並んでいるのだろう、と急ぎ足で店に向かうと、なんだかいつもと違って店内には若い女性が多くあふれていた。
何かあったのだろうか?
私は店内で漏れ聞こえる声に耳を傾ける。
「『ついっと』でバズってたケーキはこれじゃない?」
「私も写真撮って上げちゃおうかなぁ」
お店の公式アカウントがつぶやいた言葉と写真をどこかのインフルエンサーが目にとめて、そこを初めに人から人へと伝わって、思わぬ数の来客となっているらしい。
もとよりスイーツ好きにはよく知られている店なのだから来店者が増えたところでそんなに不思議ではないのだが。
とはいえ、いつもと違う店内の様子にすぐに中に入る気分にもなれず開いたドアをそっと閉めると入口手前で少し待つことにした。
もうすぐ閉店の時間なのだ。これ以上混雑はしないだろう。
想像どおり時間がたつにつれ、店から出てくる人が多くなってきた。
時計を見るとそろそろ閉店間際だ。
私はあわてて店に入りショーウインドーを眺める。
あれ?ない。
週替わりのケーキがいつもおいてある場所に見当たらず私はあわてる。
「ケーキ曜日はこちらですよ」
あれ?今私に声かけた?
顔を上げると、いつものバイトのお姉さんが目の前に立ってケーキの場所を指し示す。
「毎週お買い上げいただいてますよね?」
にこやかにその女性は私に語り掛けた。
「今日はお見えになるのが遅かったから店長が、少しの間奥にしまっておいて、って。今さっき出しなおしたのでいつもと場所が違うんです、ねぇ店長?」
厨房への入り口をちらりと振り返り声をかける。
「あー、俺に声かけなくってもよかったのに」
ふた呼吸半の間があってから、30歳より少し手前に見えるその男性は厨房から顔を出して私を見た。
その人と目があった瞬間、とびだ、と思う。見目が似ているというわけではない。
そのまとう空気が、いつも買うケーキと同じだった。
あぁ、この人のケーキだ。この人がケーキを作ってきたのだ。
その時ひらりと心にとびが舞い降りた気がした。
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