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うわばみの靖彦先輩も続く不摂生な日々に体が限界を迎えていたのか、その夜は少し強いお酒を呑ませたら簡単に潰れてしまった。
私はそれ幸いと彼を部屋へ連れ込んだ。
「大丈夫ですか?」
「すまない……甘えてしまって。すぐに帰るから」
ソファに崩れるように沈み込み差し出した水を口にしながら言う彼に、私は身体を擦り寄せた。
「星野さん……」
「明里って呼んでください」
伸し掛かるように彼の上に身を乗り出し唇を近付けると、彼は私の肩を押し戻す。
「君は……桜の友達だろう。それは駄目だ」
「桜はもう婚約者じゃないでしょう。私、大学時代から先輩のことが好きでした。飲み会で絡まれてるのを助けてくれた日からずっと……」
一途に想い続けることは出来なかったし、振り向いてはもらえなかったけれど、それでも好きだったことには変わりない。
しかし彼は傷付いたような顔で私を遠ざけた。
「なら尚更駄目だ。僕は……少なくとも今の僕は君に想って貰えるような人間じゃない。だから……」
「一晩だけでもいい……って言ったら? 桜の代わりでも良いから……」
どうせ純粋なだけの子どもじゃない。
一晩で終わったとしても、一顧だにされないよりはずっとマシだ。
思い出にする事が出来る。
それにきっと彼の性格なら、旧知の私を抱いて簡単に捨てたりは出来ない。
そこに賭ける価値はある。
「駄目だ。自分を大切にして……」
「私の想いが大切だから……だからして欲しいんです。お願い……」
お酒のせいで力の入りきらない彼に無理やり唇を重ねるけれど、頑として唇を開かない。
ネクタイを引き下ろして、シャツのボタンを外そうとしたら、その両手を掴まれた。
「やめてくれ」
「お願い、恥をかかせないで……」
大きな手に掴まれた私の手は、びくともしない。
酔ってはいても男の力には勝てなかった。
「ごめん……」
しばらくそのまま時間が過ぎて……彼が手を離した頃にはもう流石にこちらの気力も尽きていた。
拒まれたのは初めてで、それなりに女として自信を持っていただけに傷付いてもいたのだ。
「なんで……他の子とはしたって聞いたのに……なんで私は……」
いくら好みではなかったとしても、ここまで拒まれる意味がわからない。
ここまで拒まれてもなお、初めて自分から好きになった人を嫌いになれない私自身も、もう意味がわからない。
私を置き去りに、彼は乱れたままの様子で部屋を出ようとした。
玄関の鏡で私の付けた口紅が顔を汚しているのに気付くと、シャツの袖でそれを拭って、一言だけ呟く。
「僕は過去の自分だけは裏切りたくないんだ。それが……きっと僕の正しい姿だから」
去り際に彼の残したその言葉が何を示しているのかすぐにわかった。
彼は桜に愛されていた過去の自分を捨てきれない。
彼女に裏切られたと思っている今でさえ、愛されたいと願わずにいられないほどに……
だから桜の友人である私のことだけは絶対に抱けないと。
それを機に私達は疎遠になった。
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