35人が本棚に入れています
本棚に追加
桜から連絡があったのはそれからひと月程経った頃だ。
妊娠中期までお腹の中で育った赤ちゃんが流れたと電話してきた。
けれど今回は静かに話すばかりで、その力のなさに不安になった私は彼女の入院する愛知の病院まで見舞いに行った。
彼女はすっかり生きる気力を無くしていて、涙さえ枯れ果てたようにぼんやりとただベッドの上で項垂れる。
「赤ちゃん……すごく小さかった。きっと私が病気だったからもたなかったんだよね……ごめん……ごめんね……」
静かにぽろりと涙を落とす姿には、私も胸が痛んだ。
あんなに元気で明るかった桜がここまで弱っているのを目の当たりにするのはさすがに辛い。
「靖彦先輩に全部話そう。あの人は今でも桜が居なきゃ駄目だし、桜にはあの人が必要よ」
そう言ったけれど彼女は首を横に振って、小さく笑った。
「もう……駄目なの。両親の希望で治療が決まったけど、それでももう一年もつかどうか……」
「ならその一年だけでも……!」
何を言っても届かないほど心がどこかへ行ってしまったように、彼女の瞳には光が無い。
それが悲しくて、苦しい。
せめて彼が居てくれたら、桜は生きる気力を取り戻してくれるのではないかと思った。
「イヤ。この先酷いことになるみたいなの。髪も無くなるだろうし、免疫力も無くなって感染症も。末期には荒れたり鬱になったり……そういうの全部見せたくないの」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう! 会えなくなってからじゃ遅いのよ」
全てを諦めたその言葉が辛くて怒鳴ると、桜は静かに呟くように言う。
「靖彦の中では……明るくて元気な私で居て欲しい……」
「バカ! このままじゃあんたはただの浮気女なのよ」
「それでも……私が悪者なら、あの人の傷は一時で済むから。私を背負わなくて済むから……」
そこではっとした。
彼女はただ別れるだけでなく、自分が悪役になることで彼を自由にしようとしたんだ。
優しい靖彦先輩のことだ、子どもの事や彼女の治療のことを知ればその苦しみは一時では済まないだろう。
桜は自分が死んでも彼を、彼の一生を守ろうとしたのだ。
その決意を前に、もう私に言えることは何も無かった。
最初のコメントを投稿しよう!