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普段よりもだいぶ宥和的なスタンスを保とうって意識があるのか、夏生はぶっきらぼうながらその台詞のあとにさらに付け加えまでしてわたしをフォローした。
「今日はうちが招待した客の立場なんだから、お前は。そういう遠慮はいちいちしなくていいんだよ。美味しいものが手に入ったから一緒に食べようって知り合いを家に招んだ。それ以上でもそれ以下でもないだろ?」
夏生のお母さんの秋実さんは料理が上手い。
わたしも久しぶりに口にする鶏の唐揚げは、正直なところわたしやうちの母が家で作るものよりだいぶ美味しかった。
いつもそれで気になってレシピを聞くんだけど、うちでも手に入るごくありふれた調味料を使ってるだけらしいのが不思議だ。どんな植物でも活き活き育てることができるグリーンフィンガーって才能があるらしいが、その伝で言えば普通の材料を普通に調理するだけで全てを美味しくする才能は何色の指なんだ。てか、料理を表すカラーって。何が適当?ブラウンフィンガーとか。
何だか意外と美味しそうに聞こえない。美味しい食べ物は実際茶色が多いのに…。
みんなすっかり満足した食事のあと、わたしは流しに運んだ食器を秋実さんと一緒に並んで洗う。座っててください、一人で大丈夫ですよ。と言ったんだけど。彼女はにこにこしながらも頑と首を振って布巾を離そうとしなかった。
「お客様なのに、こうやってお手伝いしてもらうだけでもう充分助かってるのよ。いつも気を使わせちゃってごめんね純架ちゃん。夏生が迷惑ばっかかけてるし…」
そんなことないですよ、と言おうとする台詞が反射的に喉につかえたが意思の力で突破して無事言い切った。
夏生がくそ失礼なのは事実だがそれはこの人のせいじゃない。それはそれ、これはこれ。親と子は別人格ってのがわたしのポリシー。自分ちを考えるとそうだなって思うから。
お客様と考えなくていいです、そもそも家族みたいなものでしょとか危うく口にしなくてよかった。
自分の考えではただ単に、両親同士も幼馴染みで家族ぐるみで身内同然だからってつもりで言いかけたけど。もちろん全然違う意味に取られる危険性もある。
柔らかな微笑みを浮かべて楽しげに、お片付けが終わったら紅茶淹れましょう。実は大事にとっておいた秘蔵の葉っぱがあるのよ、と手を動かしながら話してる彼女に相槌を打ちつつ複雑な気分だ。
この人もやっぱり、わたしが将来この家に嫁に来ると考えてるのかな。はっきり言葉にしたことは一度もないけど、みんなそういう『つもり』で長年動いてきたから。まあ、そんなことこれまで考えもしなかったってはずはないように思える。いつかはうちに来る子だって接し方かも。
わたしもこの人やお父さんの恭二さんとは全然、このまま家族になっても構わないと思ってはいるんだけど…。本当にそこは、申し訳ない。すみませんとしか…。
心の中で、麻里奈に料理や洗濯やその他の家事をしっかり今から覚えとくように言いつけとくから。どうか許してください、と密かに手を合わせて謝り倒しておいた。
みんなで和やかに紅茶とお母さんお手製のクッキーで食後の団欒。それから泊まって行けばいいのに、わたしのお部屋で一緒に休んだら?とお母さんが誘ってくれるのを、明日も朝早いので。と名残り惜しくお断りして、夏生に付き添ってもらって家路を戻る。
戸口まで出てきて手を振って見送ってくれる前田家のお父さんとお母さんに手を振り返しながら何だかきゅっと胸が変な風に痛んだ。
本当にこのあと、数ヶ月もしたらわたしは高橋くんと一緒に集落から出て未知の土地にいる可能性があるのかな。
出て行く手段について、彼は自信があるみたいだけど。将来的にここにまた戻って来られるのかどうか、帰れるとしたらそれはどのくらい先のことになるのかについて高橋くんはまだ説明をしてくれていない。
もちろん、いつかはきっと戻って来られるよ!と彼が力強く請け合ったとしても。それが絶対に確実だって保証はないんだ。もしかしたら、外をこの目で確認したらすぐに帰るつもりで出て行ったのに。いつまで経ってもなかなか集落に戻れないで何年も、ううん何十年も経ってしまうことだって。あり得るかもしれない…。
どのみち外と集落との関わりや、この土地の成り立ちを知ればその後世界を見る目ががらりと変わるとは彼から断言されてるし。
わたしが今のままの見方で世の中を認識していられるのはいつまでだろう。
もしも、これまで通りの暮らしを何事もなかったように続けたいからと言って彼の申し出を断ったとしたら。高橋くんがここにやって来る前の少し退屈で閉塞感ある、でも平穏なあの毎日がまたずっと繰り返されることになるんだろうか。
それでもこの目に見えてるもの全てが見た目通りじゃないんだって一旦知っちゃったことは覆らないし。真相が何なのか、教えてもらえないまま彼が去って二度と会えずに、しかも集落がいつじわじわと変化し始めるか気が気じゃない。そんな落ち着かず不安な日々を一人でじっと耐え続ける羽目になるだけなんじゃないのか…。
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