第9章 決別

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懐かしい、見慣れた世界や親しい人たちがぐわんと遠ざかっていくようで。こんな中途半端な状態も、それはそれで。…苦しい…。 「…お前さぁ。あんな男、マジでやめとけよ」 いつの間にか自分ひとりの考え事に深く沈み込んでいて、前を歩く夏生からぼそりと切り出されたのに不意を突かれて思わず跳ね上がりそうになった。内容まではとても脳に入ってこなかった…。 「…え、何?あんな男って。…なんの話?」 口が勝手にそう返してしまってから、あそうか。当然高橋くんのこと言ってるに決まってるよな。あまりにもぼんやりし過ぎてて、あんな男もどんな女も具体的に頭に浮かんでこなかった。 これでまた、今さらしらばっくれんなよ。お前はいちいちそういうところが苛々するんだよ、とか逆上してくるんだろうなぁと思わず肩をすぼめたが、珍しく夏生はあまり喧嘩を吹っかけたい気分でもないみたいで。ただぼそぼそとわたしが訊き返したのに素直に答えただけだった。 「よそ者。高橋とかいうやつ。…お前、本気であんな得体の知れないのと一緒になるつもり?やめとけよ、外でこれまで何してきたかもわからないんだぞ。信じられないような汚いことに手を染めてきた男かもしれない。あんなにこにこして愛想振りまいて、その実内心で何考えてるのか。わかったもんじゃないし…」 「はぁ」 悪意はたっぷり含まれてそうだったけど。わたしはむしろ夏生の言ってることが案外もっともらしいことに少しだけ感心してしまった。 汚いことに手を染めてきた、とまではわたしは感じてないが。見た目通りの呑気で朗らかな裏心のない青年、って言い切れないことは確かだし。 あの開けっぴろげな態度と感じのいい見かけに騙されて、一癖も二癖もある真の性格に気づく人はそうそういないんだろうなと思ってたから。夏生の目に彼がそんな風に映ってたとは驚きだ。慧眼というより、単に気に入らないからって理由での粗探しの結果。っていうのが真実に近いんじゃないかと思うが。 一瞬毒気を抜かれて間の抜けた声を漏らしてしまった。そこを突っ込まれる前にと、慌ててまともな返答をすべく頭を巡らせる。 「別に。わたしはあの人と付き合おうなんて考えてないよ。本当に仕事として頼まれた範囲でアシスタントしてるだけだから。お互い完全にビジネスライクな関係でしかないし」 どうなんだろう。ここでの調査が終わったら一緒に外へ出てみないか?って誘われてるのは、ビジネス的な申し出って言えるんだろうか。ロマンティックな間柄じゃないことだけは完璧に自信をもって断言できるが…。 案の定そんな風にきっぱりといいきってみせても、夏生は簡単にそれで納得したりはしない。 「どうだかな。お前がそう思ってても向こうはそれだけじゃないだろ。多分、ひと通り集落を見学し終わって気が済んだら。将来的にはどうにかしてここを出て行くんだろ、こんな落ち着いた静かな環境で満足できそうなタマじゃなさそうだし。そのときはお前を、何だかんだ言いくるめて上手いこと騙くらかして。一緒に連れて行こうと考えてるんじゃないのか?」 当たり。 今日のこいつ、これまでに目にしたことがないほど超絶冴えてるな。と心の底から感嘆する。 ただ気に食わない相手だからって理由の疑心暗鬼が元とはいえ。今の推測はまあ大体正解と言って差し支えないじゃないか。彼がそれを提案する動機がわたしに対する下心のせいだと思い込む邪推を除けば完璧と言っていい。 夏生以外の周囲の人たちは彼がこのまま集落を気に入って、(わたしか)誰か適当な女の子と所帯をもっていずれここに落ち着くだろう、なんて安直に考えてるっていうのに。さすが、よそ者を簡単には信用しない男。甘いところがこれっぽっちもない。 わたしが何とも答えないから、ただわけもわからず無反応にぽかんとしてるように見えたんだろう。夏生はその今いちはかばかしくない様子に焦ったいのを隠さず、不意にその場で足を停めたかと思うと急に早口で上から言い募った。 「お前はだから、そういうところが…。他人の悪意なんて、これっぽっちも疑ってないんじゃねーの?何も知らない付き合いの浅いよそ者を簡単にいいやつかも、なんて信用してどうするんだよ。そんなんだから甘く見られてつけ込まれるんだ。役にも立たない空ばっかいつもぽかんとして見てるから。頭ぼんやりしてて隙があるように思われるんだよ、お前みたいのは」 また。…そんなこと。 ちょっといつもと違う、と思って油断してたら普段のあの口調での苦言が始まった。いらっ、とするのと同時に。言われ続けてきた根拠のないいちゃもん付けに、これまで溜め込んできた不服の上にゆらっ、と炎が上がった気がした。 「大体、外から来たってだけで本性もわからない相手に対して夢見過ぎじゃねーの?手当たり次第目ぼしい女拾って一緒に連れて行こうって向こうは軽く考えてるだけで。飽きたら何処ともわからない場所でぽいされるのはお前本人以外、誰が見てもそうなるに決まってるんだよ。何の取り柄もないぱっとしない女のくせに、ちょっと特別扱いされたくらいで。すぐ舞いあがっちゃってさ…」
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