呪いの薔薇園

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テオ(ターゲット)の話し                                                             これは、遠い昔のお話だ。  男は海の見える小さな村で生まれ、育った。その村は、漁業が盛んで男はみな漁に出かけ、女は男たちの帰りを待ちながら、内職をする日々を送っていた。豊かではないけど、幸せな村だったと思う。  朝は漁に出て、帰ってきてからは待っていた女とともに過ごす。それが、当たり前の生活だった。この俺もそうだった。  周りの男どもと一緒に漁に出て、帰ってきたら美しい恋人と共に過ごす。  本当に美しかったんだ。青い海によく似た瞳と、夕暮れ時のような金色の髪。真っ白で陶器のような肌と可愛らしい顔立ち。顔立ちは君に少し似ていたような気もするよ。  そんな恋人と過ごす毎日は本当に楽しかった。 それなのに、吸血鬼が、あの永遠を生きる種族共が、万能薬とか言ってばら撒いた薬のせいで、壊された。みんな、死んだ。 けど、俺は、唯一例外として、生き残った。  吸血鬼曰く、俺には適性があったそうだ。吸血鬼として存在可能であり、例の万能薬に耐えられる適性が。正直、嬉しくなんてなかった。当然だ。みんなを、俺の大切な恋人を殺した奴らと同じ存在になったなんてそんな理不尽な話、耐えられないだろう。そ  それと同時に、血を欲する衝動にも耐えられなかった。血を吸ってしまえば、本当にあいつらと同じ存在になってしまう。それだけは、嫌だった。  心と本能的な欲求、相反する二つに耐えきれなかった男は、発狂しながら亡骸の血を吸い始めた。皆の想いを受け継ぐように。死んでしまった、いなくなってしまった虚しさと、復讐心を忘れないために。  全ての亡骸の血を吸いつくすころには、完全に変化していた。人ならざる者に、変わっていた。  そして、元凶である吸血鬼に対して宣戦布告した。 『絶対に気様を許さない。地の果てまで、冥界のそこまで追いかけて、殺してやる』  吸血鬼は笑っていたよ。やれるものならやってみろと。漁村育ちの田舎者と思っていたんだろうね。  でも、それは誤算だ。男は計算高く、立ち回りが上手かった。吸血鬼が自分を侮っていることを逆手に取り、奴の一族を人間に追わせた。悪魔として殺させるように、うまく誘導した。  奴らは地を追われ、逃げ回っていた。最後に手を下したのは、男だった。心臓を抉り出し、神に奉げるように祭壇に飾った。  復讐心がそうさせたのだと思う。穢れた心臓を神にささげて、浄化を願うように、あるいは、悪しきものを裁いてくれと願うように。  あるいは、死んだ者たちへの捧げものだったのかもしれない。  かくして男は、復讐を遂げた。村の者たちの、自分の愛した女の代わりにね。  目的を失った男の心には、赤黒く燃えるような炎が消え去り、燃え尽きた灰だけが残った。復讐だけに長い年月をささげたせいで、何もかも失ってしまった。  男は再び発狂した。未来永劫死ねないという、罰の重さに耐えられなかった。  そして、百年余りたった後、男は幽霊のように夜をさまよった。 かつて愛した、女の面影を探して。あの頃の幸福の断片を追いかけて。  そこまで語って、男は沈黙した。続きを促すと、男は困ったように微笑んだ。それは、海より深い悲しみをたたえているように見えた。 「続きなんて、無い。ささまよい続け、我を失い、亡霊になっただけさ」 「亡霊? 不思議な例えね。人じゃなくなった瞬間から亡霊だったんじゃないの? 復讐に身を焦がした亡霊」  ちょっと茶化してみる。苦笑いしながらはっきり言うねえ、そう言って赤いカクテルを飲み干した。  コトリ。グラスをテーブルに置く音がやけに大きく聞こえた。 「いいの? 君は」  顔にかかっている髪をかき上げながら、楽しそうな声で男が言った。  まるで、何もかもお見通しだといわんばかりの顔だった。変に顔がいいせいで一瞬、バイタルが乱れる。  でも、気が付かれるわけにはいかない。 「いいのって、何が? まだ帰る時間でもないでしょ?」 「ん、嗚呼そうじゃなくて。それとも、まだとぼけるつもりかい? それとも、愛しいエイミのまま一緒にいてくれるの? そんなわけないよね、血濡れの天使さん」  いつもの優しく、甘い声で正体を暴いた。本当の姿を、本当の目的を。 偽のための仮面を外し、本来の顔を出現させる。 「最初から気が付いてた。火薬と血潮の臭い、ちょっとしてたし」  謎に全身がむかむかした。今すぐに何かに当たりたい気分だ。 「なら、何故見逃した。何故さっさと逃げなかった! 」  怒りのままに吐き捨てて気が付く。こちらの正体をわかっていたのなら、逃げればよかったのだ。殺されることもなく、まだ生きられただろうに。それとも、殺されない自信があったのだろうか。だとしたら、嘗められたものだ。  男笑った。ずっと笑っているけど違う笑みを浮かべる。気持ち悪い。人間のふりをしているだけなのに。そう思うたび、何故か心臓のあたりが痛かった。  男がゆっくり口を開く。いやだ、聞きたくない。ガータベルトにつけたホルスターに手を伸ばす。 「それはね、君を愛してしまったからだよ」  一番聞きたくなかった最悪の答え。  吐き気を催す嫌悪感、歓喜にもよく似た理解不能の熱の渦が、動きを止めてしまった。  そんな私にかまわず、男は、否、吸血鬼とかつて呼ばれた神秘の端末は喋り続ける。 「君には申し訳ないと思ってる。人ならざる者が、人を愛してはいけない、それが理だ。でもね――」  やめてくれ。 「――感情が君の前から去ることを許してはくれなかった。もう人じゃないのに、人のように感情を優先してしまった、理性なんてなかった」  やめて、その先は。 「一目見たときから、惹かれてしまった。あわよくば、ずっと君といられたらいいのにとも思った。彼女みたいに消えてしまわないようにしてしまえばいいとすら思った」  お願いだからもう。  そんな願いもむなしく、ソレは私を抱き寄せ猫のように首筋にすり寄る。ほんのりアルコールを含んだ吐息交じりの声で囁く。 「ごめんね、ずるいやつで。わかったうえで一緒にいて……」  その声は、どこか悲しく私を完全に停止させるには十分な甘さを持つ声は何かに似ていた。  嗚呼、そうだ。行為中の彼の声によく似ているのだ。切なくも甘ったるくて、こちらが骨まで溶けてしまいそうな声。絶対的に逆らえない、甘い呪いを吐く声だ。 「見逃せ、何て言わない。けど、本当に、心から君を愛してる」  だから、せめて、そう言って吸血鬼は私の首筋に唇を寄せ―― 「――くっ!」  冷たいぬらっとした感触と皮膚を突き破る痛みが、自分を目覚めさせ、吸血鬼の心臓を打ち抜く。  血の一滴も出ず、砂のように崩れ落ちていくそれを抱き留めてみた。体温も質量もない。消えるそれに、自分の赤い血が混ざって消えていく様をやけにさえた目で見ていた。 「ええ、私も愛していたわ、殺したいくらいに」  嘘か本当か自分でもわからないまま呟く。  嗚呼でも、目から零れる塩っ辛い水と口に広がる苦みは、あの人が初めてだな。  カラン。誰か来たのかと思い、顔を上げる。  残り香のようにただよう灰と金色の指輪が深紅の液体に落ちた音だった。
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