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諦観
『最小不幸社会』
いつか、どこかの政治家が最高権力者として名乗りを上げた時、掲げられたビジョンだ。
具体的には、最低賃金の引き上げ、最低保障年金の創設等々、人が人らしく生きる上での制度設計を樹立し、社会規範から漏れてしまう者を最低限にすること、らしい。
最低、最低、最低、と……。
なんともまぁ、ぺシミスティックで卑屈な表現が連続するものだ。
まるで人は不幸であることが大前提かのような言い草だ。
言いたいことは分かるが、この国の舵取りを担おうと意気込むのならば、もっと景気の良いことを言ったらどうかとも思う。
しかし、当時としてはそれなりに評価され、支持率も上がったという事実もあったりする。
それだけ庶民にとっては、思うところがあったのだろう。
……といっても、別にそれは今に始まった話でもない。
言ってみりゃ、遥か太古より名を変え形を変え、脈々と引き継がれてきた暗黙の了解である『理想』を、メディア用に言い換えただけに過ぎない。
飽くまで、為政者としての当たり前を言っただけ。
要するにポーズだ。
誰も本気で成し遂げない。
本音では、成し遂げようとすら思っていない。
結局のところ、『社会は自己責任が原則』などと開き直るか、その場凌ぎのキレイ事で取り繕うかの違いでしかないのだ。
その証拠が、このザマだ。
人生の一切合切は、生まれた時点での初期ステータスが物を言う。
それが世の常だ。
近頃では、ナンたらガチャなどと他責思考気味の比喩も横行しているが、無理もない。
誰も生まれる環境も時代も選べなければ、そもそも好きで生まれてきたわけですらないのだから。
そんな『なんちゃって実力主義社会』に生まれたこと。
もし、それ自体が不幸の根源なのだとしたら、人生は罰ゲームでしかない。
だから、俺は自信を持って言える。
『諦観』こそが、唯一の救いなのだと。
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