たとえ世界が変わっても

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 学生時代から付き合って三年、遠距離恋愛になって一年。恋人の聡とは、住む場所が離れてからも月に一度のペースで会っていた。しかし、ウイルスの流行のせいで三月は会えずじまいだった。国外で発生したと言われているウイルスが国内でも発見され、それでも私達はどこか他人事で、「春になったら落ち着くよね」なんて根拠もない希望を胸に抱きながらも、事態はどんどん悪くなっていった。国からの要請でテーマパークは臨時休業となり、商業施設も営業しなくなった。飲食業界で働いている私も例外ではなく、会社から自宅待機するように言われ、自宅では父が慣れない様子でITを駆使してリモートワークに励んでいた。 「美樹、大変、大変」  マスクをした母が買い物から帰宅し、洗面所で念入りに手を洗った後で困り顔で言った。 「どのお店にもトイレットペーパーがないのよ。それから、ホットケーキミックスも」 「あー……、さっきテレビでそんな事を言っていたかも」 「知っていたなら早く教えてよ」  一緒に過ごして二十数年、母の文句口調がさほど真剣じゃない事くらいは分かるのに、胸の奥でチリチリと苛立ちが沸いた。  ドラッグストアやスーパーからはあらゆるものが姿を消し始めていた。マスクやアルコール消毒類だけでなく、トイレットペーパーやハンドソープ、なぜかホットケーキミックスやパスタまで。テレビが報道する事で相乗効果的に視聴者が買い占めに走り、悪循環が生じている。  人々は仕事にも遊びにも出られず、買い物すら人数制限をされ、レジに並ぶ時には間隔をあけて並ばされるようになった。たった一か月前までには見られなかった光景が、人々の日常を侵食している。  それに比べて、聡の日常は大きく変化はないようだ。聡は、医療機関で働いている。  【おつかれさま~】  午後十時。可愛らしいスタンプと共に、聡からメッセージが届いた。  【ついに俺の職場にも患者が来たよ】  メッセージアプリ内を飾る何の変哲のないスタンプが、聡の状況を物語っているみたいだった。患者、というのは、まだまだ未知の領域にある新型ウイルスに感染した患者の事だ。  慌てて着信ボタンを押してみるけれど、応答はない。電話に出られないくらい疲れているのだ。私はスマホを持ったまま、ベッドに寝転がった。カーテンで覆われた窓の向こうがひどく遠い。  聡、と声にならない声でつぶやく。会いたいよ。会って話がしたいよ。  だけど、何を話すというんだろう。大学時代に出会い、それぞれ希望していた職業に就き、離れて暮らしていてもお互い励まし合いながら仕事をしていたはずだった。しかし今となっては対極だ。万全な対策も追いつかない状況で感染者の対応をする聡と、自宅待機を命じられて今後の生活を危惧する私。  だから、聡には何も言えない。弱音も不安も、会いたいという一言も。
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