第三話 沙耶香(公務員)の話

2/2
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
 なんだかんだありながらも店内へ入ると、その様子は高校生の時ぶりの雰囲気がまだ残っており、懐かしい気持ちと落胆の入り混じる複雑な心境に陥った。  辺りを見渡せば、ファストファッションを着こなすベテラン主婦達が談話してたり、子供連れの家族が楽しそうに食事をしている。  そんな中、髪型をハーフアップにセットしてアクセも厳選し、服装から何から高級フレンチレストランに入っても恥ずかしくないように準備してきた私は、何とも虚しさで胸がいっぱいになってしまった。  これ私も完全に場違いだわ……。  めっちゃ学生のバイトっぽいホールスタッフから案内されて席へ着くなり、リクさんが立てかけてあったメニュー表を取って私に向けて見せてくる。 「はい、好きなの頼みなよ~」  嫌いなの頼む人はいないでしょ。 「……うん」  友人からお茶に誘われていたのをやんわりと断ってここに来た私はすでに若干イラついており、まぁまぁのガチ具合で『帰りたいな』とまで思い始めていた。  決して大衆ファミレスが嫌いなんてことじゃない。けど、反応を試されるは何か嫌だし、なんていうか……少しでもいいから“配慮”して欲しかっただけ。 「ユーリさんと実際向き合って見ると、まつ毛長いし猫目でホント可愛いと想う」 「え、そう? あ、ありがとう……」  はいはい、即行でメニュー決めたいから少し黙ってて。こちとらさっさと食べて、早くこの場から脱出したいんだわ。   「うん、何回かアプリで会った人の中では一番好みだね~」 「へぇーそうなんだ。そこまで言われるとなんか照れるわー」  ん~、何が一番調理に時間()()()()()んだろ? 確かここは、一番人気のドリアが早く出して貰えてた気がするけど。  リクさんに脳死自動返事モードで対応しながらメニュー表とひたすら睨めっこをしていたら、不意に彼から「あ、ドリンクバーも頼む?」と訊かれる。 「え、ああ……私はお水だけで大丈夫だよ。あれ頼んでも案外飲めないし」 「お~、それは俺も同感。元取ろうとすると腹タプタプになっちゃうしね~」  よし、ナイス価値観の一致。てかドリンクバーなんて頼むわけないでしょ。今だけは食後の余韻に浸る気分なんて毛頭ないわ。 「あ、じゃあ私……このドリアにしようかな」  ほぼ最初に決めてた料理を、あたかも悩んでたかのような言い回しで伝えると。 「え、それだけで足りる? 遠慮しなくていいのに」 「ううん、全然大丈夫だよ!」  いやそんな配慮いらんて!  心中でそうツッコんでいたら、彼はメニュー表を立てかけてボタンを押した。  “ピンポーン”。  うわぁ……店員呼び出しのピンポンがこんな嫌な響きに聞こえるなんて、今後ほとんどないだろうな。  こうして、さっきとはまた別の学生っぽいホールの子に注目を済ませた私達は、料理を待つ間に雑談を交わしていた。  どんな内容を話していたかは、メニューの表紙にある“間違い探し”をやっていたせいで全く覚えてない。  料理が来た後も、他の席でカップルがお互いにスマホと睨めっこしていたのを見て、『そんな感じならデートしなくても良くない?』と思っていた。  二人っきりなのにスマホなんて眺めてたら、相手に『無関心ですから』って言ってるみたいで失礼じゃない?   さすがの私でも、リクさんに対してそれは出来ないわ――。    そんな感じで料理を食べ終えた私は、「ちょっとごめんね」と言って、すぐ化粧室へと入った。化粧直しをするつもりではなく、リクさんに“会計を済ませる時間を与えるため”に。  初デートとなると女側も気を遣って、とりあえずバッグから財布を取り出す。『デート代は男が払って当然』と思うような“がめつい女”に見られたくないと思うのが女の心情。  そこで相手の男と茶番地味た問答が始まっても結果なんて分かりきってるし、私からしたらやり取りそのものが正直もう面倒くさい。  私も20代前半は逆に『割り勘のほうが気が楽』と感じる方だった。でも、さすがに30近くにもなれば『全部とまでは言わないけど、せめて多めに出して欲しい』と思うのが本音。  相手が同じくらいの年齢ならそれなりに収入あるワケだし、何より『お金を多めに出す価値がこの女にはある』って心理が働いていることの証明に繋がる。  そして、気の利いた男なら“女がトイレに行くタイミング”を逃さない。合流した際に会計がすでに終わっていれば、こっちも「えぇ!? そんないいのに~!」の一言で片付いちゃう――。  ある程度の間を置いて席へ戻ろうとしたら――テーブルの上に丸められた会計用紙が、まだ筒に刺さっていることに気付いた私。  出た……こっちが完璧なお膳立てしやってんのに、この期に及んでスマホなんか弄ってんなし。  そう苛つきながらも平然とした表情で席に戻る私。 「……ごめーん、待たせちゃったね!」 「全然平気だよ~! じゃあ、そろそろ出よっか!」 「そうだね!」  はぁ……。  と、心の中で溜息を吐きながらバッグの財布に手を伸ばす。ふと彼を一瞥してみたら、会計用紙片手に何やらスマホで計算をしている様子。  まさか……。 「えーと、ユーリさんはドリアだけだから486円ね。細かいのある?」  ぐはっ……!!  両替してくるの忘れちゃったよ~……て違うわ!!  こいつ“ガチな奴”じゃん!!  さっきの『遠慮するな』ってどういう意味だったの!? 結局自分で払うなら世話ないやん!! 「あ、ごめ~ん……細かいのなくて、千円札でもいい?」 「楽勝だよ~! こんなこともあろうかと銀行で小銭両替しといたんだ~、偉いでしょ?」 「……え、え~さすが! すごい準備周到だね!」  その瞬間、私の中で何かが弾けた。  いや大して偉くねぇから。  こっちが求めてるもの履き違えるのにもいい加減限度ってもんがあるでしょ。そんな暇あったんならお洒落なお店でも予約しとけってんだよ。  てか自分のこと「偉い?」って確認していいの5歳くらいまでじゃない? 良い歳こいた男がドヤ顔ぶら下げて言うもんじゃないっしょ普通。一旦落ち着いて身の程弁えよっか――。  完全に“アウトローモード”にスイッチが切り替わった私がリクさんの後について行くと、レジの前に立った彼が目を凝らしながら財布の中を覗き始めた。  ん、どした?  怪訝な表情をする私の前で『しっかり者でしょ?』とでも言いたげな顔をしたリクさんは、長財布の内ポケットから『クーポン』を悠々と取り出した。 「こういうのもチリツモだからねぇ~」  と彼が呟いた途端――私の全身に悪寒にも似た鳥肌がゾワゾワと聳り立つ。  はいもう無理。    だからダメだって『クーポン』は。  一円単位の精算は百歩譲ってナシよりの微アリだけど、クーポン君……まだ慣れ親しんでない異性との間柄でお前だけは絶対ダメだ。それが活躍するのは友達やら家族とかで来た時くらいでしょ。  君はどんなイケメンすらも地獄に堕とす“破滅のジョーカー”なんだから、デートの時だけは財布から出てくんなって。  ていうかさ。  チラッと見えたけど『総額割引クーポン』ってことは、それ使ったら私が地味に損することになるよね?   なんで割引後の総額で精算しなかったん? ぶっちゃけちょっと小賢しいことしてくれてる? 今時恋愛未経験の中学生でもそこまで暴走しなくない?  そもそも『チリツモ』って、あんたにはもはや一生塵なんて積もらないでしょ。山になる前に相手と破局迎えてそれまでの交際費が完璧無駄になるだけじゃない? むしろ逆に地面掘っちゃっててメッチャ草生えるんですけど。  まさか、表に停めてるのも親の車か何かじゃない? ――。  店を出た私はすぐさまリクさんに「じゃあ今日はありがとう! 私はここで帰るから!」と笑顔で告げた。 「え、もう帰るの!?」  驚きを隠せない様子の彼をよそに、私は偶然通りかかったタクシーを捕まえた。 「うん、ちょっと急用思い出しちゃって……ホントごめんね、バイバイ!」  タクシーの後部座席に乗り込むと、窓から見えたリクさんが目を点にして私の行方を追っていた。  マッチングアプリでメッセージのやり取りしていた時には、全く想像もしていなかった結末。  リクさん……ごめんね。  恐らく悪気のない彼には申し訳ない気持ちも滲んできたけど、やっぱり一緒にいて違和感しかない彼とは合わないと思う――。  散々な日に終わった夜。  今日の出来事に疲弊したせいか、私は住んでいるマンションのベランダで夜景を前に意気消沈していた。  そんな時にふと、気晴らしに一人で飲みにでも行きたい気分になったので、どうせならと少し奮発するつもりで高級なところを探してみた。  日々の生活をなるべく節制しつつ地道に結婚資金は貯めてたし、あんま自分に“ご褒美的なもの”なんて上げたこともなかったから、今回くらいはいいよね。  スマホで検索していると、都内にある高級ホテルのバーラウンジが目に止まった。お洒落なカクテルなんて柄でもないけど、たまにはこういう雰囲気のところにも一人で行ってみたい。  てか、高!  こんなの平気で泊まれる人の気が知れないわ。庶民の感覚で見ると、高級ホテルの“高嶺の花感”ってやっぱすごい。  とはいっても今更他のところを探す気もない。もうノッちゃってるし。  何件か見比べてみたら、無理のない値段で重厚感のある落ち着いた雰囲気のホテルが見つかったので、空いてる部屋を覗いてみる。  お、ギリギリ1部屋だけあった! さすがに休日の今日は無理だったけど、明日なら何とか入れそう! ――。  翌日。  私は、ホテルの最上階にあるバーラウンジのカウンター席で飲んでいたら、偶然――大学生の頃から社会人一年目まで付き合っていた元彼の侑李(ゆうり)と再会する。 「よ、浮かない顔してどした?」 「……侑李?」  大手の建設企業に入社して忙しくなった彼とは、会える頻度が減ったことでヤキモキした私が「別れたい」なんて、本心でもないことを言ったせいで破局した。  些細な喧嘩をした勢いから、軽はずみで口走ってしまったことだった。  社会人になって環境の変化に慣れないストレスもあったけど、そのことをずっと後悔していた私。  リクさんから試されたことに嫌気が差してたのに、侑李の気持ちを確かめるみたいことを、私も彼にしちゃってた。  彼は長い出張を経て都内にある本社へ戻ると、骨休みするためにこのホテルを時折り使うらしい。  私が昨日起きたリクさんとの話を聞かせたら、侑李に大爆笑された。 「そいつエグいな~、マジウケんだけど!!」 「いや全然笑えなかったから。トイレで子供とぶつかって『ごめんなさい』って謝られた時とか、何か私メッチャ泣きそうになっちゃったし」  その後侑李の話を聞いてみると、彼は私と別れた後は誰とも交際せずに一生懸命働いて結婚資金を貯めていた。私も大学卒業時に侑李から「結婚のためにお金貯めよう」と提案された名残りで続けていたことだった。 「ねぇ、ホントに誰とも付き合ってないの?」  奢ってもらったカクテルを飲みながらそう訊いてみる。ホントに疑問だった。付き合っていた当時より、かなり垢抜けて大人びた格好良さを感じたから。 「派遣の子に告白されたことはあったけどな。好きじゃない子とは付き合えない」  大学生の時は私が折れるくらい猛烈に迫ってきたのに、自分に言い寄ってくる子には全然興味を示さない頑固な奴。 「好きな人くらいはいるんでしょ?」 「……そりゃあな」 「えー教えてよ」 「は? 沙耶香に決まってんだろ」 「ふ~ん」  何だ、私か。  ……ってえぇ!?  寂しさを紛らわすために他の男と付き合ったり、マッチングアプリまで使ってた私に対し、侑李はずっと変わらず私を想い続けてくれていた。  嬉しかった。  本当に――。  こうして、運命的な再会を果たした私と侑李は一年後に結婚。式を挙げた後も幸せに暮らした。  こんなドラマみたいな出会いが出来たり、大切なことを気付かせてくれたのも『マッチングアプリがキッカケなのかな』なんて、感謝の気持ちが湧いていたのはここだけの話――。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!