六.影なき訪問者

11/11
778人が本棚に入れています
本棚に追加
/161ページ
 ──第一の事件。八年前に長崎で起きた『非毒(ひどく)非病(ひびょう)事件』の被害者、唐物屋(とうぶつや)の主には愛人がいた。妻に知られて手を切ったが、女はまだ未練があり、夜に道に立って店を見つめていたことが多々あったという。  ──第三の事件。四年前、京で起きた事件の被害者は有名な旅館の主人とその妻だった。このすぐそばに規模も宿泊代もそう変わらない旅館があり、町を代表する二大旅館として(しのぎ)を削っていたが、事件の一年ほど前からは被害者夫婦の経営する旅館のほうが賑わっていたという。 「手を切られた愛人の女と、客入りで負けていた旅館の主。被害者を憎む理由は充分にある」  彼は第二の事件についてはあえて言及を避けたようだった。六年前、東京で起き、なんの罪もない夫人が犠牲になったという事件に関しては。  ──なぜなんの罪もないと云いきれるのだろう?  すでに徹底的に調べがついたあとだからか。それとも、  それとも、身近でそのひとのことを見てきたからそう云えるのではないか。  ひさは螢雪の顔をそっと窺う。  彼の無表情はいつものそれだが──その向こうで、彼はいまなにを想っているのだろう。だれを思い浮かべたのだろう。  彼の浴衣の帯には母親のものだという扇子がはさんである。  その扇子の主は。おそらく、もうこの世には…… 「……あんたの推論だと、ひさちゃんのご両親は」  ひさははっと我に返る。  紫陽が云おうとしたところを察して、ひさはごくりと唾を飲みこんだ。  ──第四の事件。二年前のふたりの死の真相は。  叔父夫婦から『(テイ)』の画を贈られたことが契機だったのだったのかもしれない。  ……たしかめなければ。螢雪たちに云われるまでもなく、ひさは自分のやるべきことがわかっていた。  だけどだしぬけに『両親に画を贈らなかったか』と聞いても不審に思われるだけだろう。嘘偽りのない証拠を見つけなければならない。 「おまえの両親は日記をつけていなかったか。そこに画について記述があるかもしれない」  螢雪に問われたが、ふたりにはそういう習慣はなかった。母は家計簿ならまめにつけていたし、父も日記ではないなにかなら記していたようだが──  ひさの脳裏にその光景がぱっとよみがえった。そうだ、父はなにかを帳面に筆で記していた。父の部屋で。新しい画を買ったときに。  あれは自分が持っている画の目録ではなかっただろうか?  ──目録。その中に、もし入手先が書いてあれば。  叔父たちの罪を白日の下にさらせるかもしれない。  ひさはふたりにうなずいた。そして『いろは歌』でそのことを伝える。  事件を追う糸が見つかったと表情を変えたふたりに、さらにひさは告げた。 『わたしがとりかえしてきます』
/161ページ

最初のコメントを投稿しよう!