七.訣別

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 文机に向かっている螢雪を見ると、ひさが裁縫に集中していると思ったのか、いつもはひとりのときにしか読まない読者からの手紙を広げている。氷雨が手紙の匂いをふんふん嗅ぐのを手で避けながら。  ──私がだした手紙、もう届いたかな。  先生は気づいただろうか。いや、彼のことだからほかの手紙とおなじように箱に入れてしまうにちがいない。もうすこしだけ待って、それから種明かしをしよう。  ひさの悪戯に驚く螢雪を想像すると愉しい。ひさは口元に微笑を浮かべ、気持ちを入れかえてもう一度針を運ぶ。  ひさが針を順調に進めていくのを背後に感じながら、螢雪はその手紙を取り上げた。  封筒は白地に牡丹の空押し。ころんとしたお菓子のような字とその大人びた模様がすこしちぐはぐだ。家族のものを拝借したのか、と思いながら氷雨が怪我しないよう文机からどかし、紙切り用の小刀で開封する。  字も菓子ならば書いてある内容も菓子のようだった。彼女──これは女性、それも少女の筆跡だろう──は『月歌美人』を何度も何度も読みかえしているらしく、事細かに感想が述べられている。少女らしい一途さにあふれた言葉で。 「……、」  螢雪は差出人を確認しようと封筒を裏返したが、名前もなければ住所もない。切手の消印はこの辺りだが──。  ──だれがこの手紙をだしたのか。やにわに知りたくなったが、郵便局に問いあわせても答えられないだろう。なにか手がかりはないかと読みかえしていると、急に氷雨が廊下にでたがってひさも一緒についていく。  ひとりになった螢雪は文机の下に置いてある文箱を取りだした。大事な手紙はすべてここにしまってある。昔から、ずっと。  すぐにひさが戻ってくる気配がしたので、とりあえずは封筒と一緒に手紙をその中にしまって文箱を元通りにもどす。  素知らぬ顔で読書を再開するのにはすこし苦心した。
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