七.訣別

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 なのでひさは一計を案じた。氷崎螢雪のもとで女中として奉公していたが、やはり彼には追いだされた。仕方なく家に帰ってきたひさに叔母はもうこの家にあんたの居場所はないと云うだろう。そこで、ひさは父が直筆で残した帳面だけでもほしいと訴える──。  目録自体にはなんの価値もない。ひょっとしたらもう捨てられてしまっている可能性もあるが、それすら面倒くさがるほど叔父たちがものぐさであることにひさは賭けた。 「悪くない案だが」と螢雪がつぶやく。「だが、その着物で行ったら嘘がすぐにばれるな。前に着ていたぼ……着物はとってあるか」  ……先生、いま襤褸って云おうとした。たしかにそれくらいひどい状態だったけれど──父が布を買ってくれて母が仕立ててくれた大切な着物だ。ちゃんと桐箪笥の中にしまってある。 「なら明日はそれを着ていかないとな。髪にも気をつけろ。  それと……草履は直したばかりか。仕方ないな。侑、おまえのを貸してやれ」 「俺っ?」と侑は目を丸くする。 「まさかわざと駄目にするわけにもいかないだろう。おまえのなら寸法も状態も丁度いい」 「その間俺はどうすんのさ。女ものなんてやだよ」 「俺のでも履いてろ」 「先生のじゃまだでかいし……」  侑はまだぶつぶつ云っていたが、「わかったな」と螢雪に云われて不承不承うなずいた。ひさはなんだったら裸足で行ってもいいと伝えようとしたものの、その前に螢雪が時計を見て、 「十頃でいいか。侑、(ひる)前にうちに来い。それから決行する」 「俺はいいけど……先生、ちゃんと起きてる?」 「大人を馬鹿にするな」  朝起きられなくて石丸の見送りに行けなかったひとがなにか云っている。  ひさはちょっと心配になったが、「じゃ、そういうことで」と螢雪から今日の謝礼を受けとった侑がさっと立ちあがったのでひさも見送りにでようとした。  だがやっぱり「来なくていいよ!」とぶっきらぼうに云われて、つむじ風のような速さで走っていかれてしまう。ひさが廊下にでたときにはもう玄関の戸が閉まっていた。  五日経っても侑はひさに慣れてくれない。男の兄弟もいないし、近所の子供たちと遊ぶよりも家で静一(せいいち)にいさんと話をしていることのほうが多かったから、年下の男の子との接しかたがいまいちよくわからなかった。彼にいやな思いをさせていなければいいのだけれど。
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