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「……ああ、だれかと思えば」
ひさが玄関の戸を叩くと叔母が中から開けた。
それからひさをつま先から頭のてっぺんまでとっくり見て──草履を借りて正解だったと、その目つきのいやらしさにひさは思った──満足げにくちびるを歪めた。ひさが螢雪先生の家を追いだされたと信じたのだろう。
「あんたならと思ったけど、駄目だったんだね。あの作家先生は気難しいひとらしいから仕方ないよ。お入り」
叔母はそう云ってひさを玄関に招きいれる。他人の家の匂い──自分の鼻がこの家の匂いをそう識別したことに驚くひさの後ろで、戸がぴしゃりと閉まった。
「……でもねぇ」と叔母はひさの肩に後ろから手を置く。
「あんたがいるとうちは困るんだよ。ほら、わかるだろ。おみつもそろそろ年頃だからいい縁は逃したくないんだ。
そこにねぇ……あんたみたいな、"口なし"の従姉さんがいると……」
──向こうは腰が引けちまうだろう。痛みを感じたのは肩に食いこむ太い指になのか叔母の言葉になのかわからないが、ひさは身をこわばらせる。
「しゃべれないんじゃ石ころと同じだよ。なにもしないくせにごはんだけは食う石ころなんて、あんた、うちにおいておきたいと思うかい。
──いいや、あたしたちはいいのさ。あんたは義兄さんたちの忘れ形見だ、いくらうちにいてくれてもいいんだよ。でもねぇ、それだとおみつのお婿さんになるひとやその家族が可哀想だろ。
……どこかの家に奉公して、そこでお妾さんにでもしてもらったほうがあんたも幸せなんじゃないのかい。探せば口を利かないのがいいっていう物好きもいるんじゃないかねぇ」
表面だけはひさを心配しているふうに塗りかためているが、その内側にはどろどろに腐った蔑みが隠されている。ひさは自分の懐に手をやって──そこに桜葉の本がないことに気づき、ぎゅっと手を握りしめた。
自分ひとりで耐えなくちゃいけない。ひとりで……。
「だけど従姉が"口なし"で妾なんて外聞が悪い。あんただってそう思うだろ。
──だからねぇ、あんた。せっかく帰ってきてくれたのに可哀想だけど、あんたはもう、今日限りで」
「うちとは赤の他人。そういうことにしてもらえないかい」
ぱちん、となにかが鋏で切られた音がした。
悔しさなのか悲しみなのか。どくどくと血が流れる音が耳の内側で聞こえていてうるさいくらいだったが、その音は、たしかにひさの耳に届いた。
……そうだ。毎日毎日、家族どころか人ではないような扱いをされても、それでもこの家をでていけなかったのは。
ここが両親との繋がりだったから。
このひとたちのことを──おとうさんとおかあさんの家族だと信じていたからだ。
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