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ほろりとひさの目から涙が零れる。
叔母はそれをひさが傷ついたからだと思い、得意そうに笑ったけれど、そうではないことをひさはちゃんと自分でわかっていた。
──もうこのひとたちと家族でいなくていい。
そのことに安堵したからこそ、あふれてきた涙だった。
袖で涙をぬぐい、ひさはちいさくうなずく。「あぁ、ごめんよう。ひどいことを云っているねぇ」と笑いを隠さずに叔母は云い、「なにか義兄さんか義姉さんのものを持ってく?」と向こうから水を向けてきた。
ひさは首を縦に振る。
「そう。じゃ、最後に見てきな」と叔母はひさの肩から手を離した。
……おとうさんの帳面。
ふたりの最期の謎を紐解く手がかり……。
泥まみれの草履を脱ぎ、ひさはかつての自分の家へと上がった。父の趣味部屋にまっすぐ行ったら不自然だろうか。いや、そんなことはないはずだ。ひさが父と仲がよかったことは叔母も知っている。
目的の部屋に行くには縁側を回っていったほうが早い。ひさが歩きだすと叔母も後ろをついてきた。金目のものをひさが持っていかないか見張るためだろう。胸がちくりと痛んだが、落ちついてと自分に云いきかせる。
悲しみに足を取られてはいけない。螢雪先生のように、冷静にならなければ。
奥の三畳間が父の趣味の部屋だ。北向きで日が差さないここを丸ごと日本画の置き場所と定め、週に一回はこの部屋に籠って画の鑑賞をしていた。そんな父の膝の上に乗って、大きくなってからは父の隣に座布団を持ちこんで、父と一緒に画を眺める時間がひさは大好きだった。
──もう、この部屋はがらんどうになってしまっているけれど。
空っぽの部屋を見てひさの胸の中に冷たい風が吹きこんだ。ほんとうに叔父さんはすべての画を売ってしまったのだ。
でもいくつかは螢雪先生が買いもどしてくれた──そのことを支えに、ひさは日中でも冷え冷えとした三畳間に足を踏みいれる。叔母は入り口の柱に寄りかかった。
壁際に置かれたちいさな机はそのままだった。小筆や硯、墨汁も。父の字で『目録』と書かれた和綴じの帳面も。
埃を払い、念のため表紙をめくってみると、『某月某日──××堂にて誰々の画を贖う』というふうに記録がつけられている。……これで間違いない。きっと放浪の絵師についても書かれているはずだ。
ひさは帳面を壊れもののようにそっと胸に抱きしめる。
……ごめんね。おとうさんの画、守ってあげられなくてごめんね。心の中で謝ってから叔母を振りかえった。目を光らせている彼女にこれだけでいいと首を振り、ひさは立ちあがって部屋をでる。
ほんとうは母のものも持ってゆきたいが──着物も髪飾りも叔母は許さないだろう。いま着ている着物だって母のものだ。華やかな柄を着るのに飽きたのか、それともあれは母だから似合うということにようやく気づいたのか、質素な普段着ではあるけれど。
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